るであろう。
今度の震火災を機会に、浅草千束町の醜業窟が一掃されたという。行って見ると、成る程無い。只《ただ》果物なぞを売っている店が十五六軒並んでいるばかりである。当局者は云う。
「こうして大いに東京市内の風紀を改善するのです。彼等がもし醜業を営んだことがわかれば、一月近く拘留した上に写真を撮って、二度と再び営業出来ないようにするのです。元来浅草区はこれ等醜業婦のために拭うべからざる汚名を受けているのです。浅草区役所の収入の大部分は彼等醜業婦が持っているのだとか、浅草に来る警官はみんな彼等から袖の下を貰ってぜいたく[#「ぜいたく」に傍点]をしているとか、浅草区から立つ候補者は醜業を理解しなければ立つ資格が無いとか云われていたものですが、そんな世間の誤解を一掃するには昨年の震火災が絶好の機会でした」
云々と大得意になっている。
その追い立てられた醜業婦が立ち去ったところ、又そのあとに当局の所謂「一掃された」という言葉を裏切って続々と殖《ふ》えている怪しい女の事に就いては、後の研究問題に楽しんでおくとして、取りあえず浅草の新券番に行って、芸妓の名寄《なよ》せを取って見ると六百名ばかり居る。しかもこれは、震災前醜業窟を経営していた連中が喰うに困るという名の下に、新たに許可したものだというのだから、開いた口が塞《ふさ》がらぬ。何の事はない、浅草区内に今まで居た醜業婦をほかへやって、あとに今までよりも白首をふやした上に、こんな大券番を増設したことになる。
これは見様《みよう》によっては市役所にかかる問題ではないかも知れぬ。しかしこの券番の許可に就《つい》ては、二つの或る有力なる団体が当局に対して猛烈な運動をした、その背後と正面には抜け目のない東京市政の有力者が立っていたというのだから、大抵察しが付く。
もっと酷いのになるとこんな話がある。
目下、市内各所の公園付近に市から建てられたバラックがある。これは市の体面を傷つけるし、衛生上又は公園の本来の性質上立ち退かせねばならぬというので、市の方から八釜しく云っているが、酢のコンニャクのと云ってなかなか立ち退かない。(この事に就ても後に述べる)。目下、市と押し問答の最中であるが、それにつけ込んだ或る市会議員がバラックへ押しかけて行って、
「一戸当りいくら宛《ずつ》出せば立ち退かないようにしてやる」
と談判したところが、物の美事にはね付けられたという。
これはあんまり篦棒《べらぼう》な話で、多分、或るデモ主義者かゴロ付きの一人が思い付いてやった事を、市会議員の所業と結びつけた一片の噂《うわさ》に過ぎないであろうが、それにしても、こんな事にまで結び付けられ易い、東京の或る種の市会議員の平生の素行が忍ばれるではないか。火の無い処に煙はあがらぬとはいうものの、これは又あんまり情ない噂である。
こんな風に疑って来ると、見るもの、聴くもの、何一つ疑いの種とならぬものはない。同時に、こんな事実を見たり聞いたりして来ると、東京の前途が思い遣られる。同時に、東京を中心とし、頭脳として生きて行かねばならぬ、未来の日本の運命を悲しまずにはおられぬのである。
市議の不正公表
ここまで観察して来ると、東京市政の裡面はハッキリとした焦点を作って読者の眼前に現像されるであろう。
先ず現われて来るのは、市会議員の或る一派が往来のバラスや、市で使う石炭や、水道の鉄管や、又はあの大きな瓦斯《ガス》タンクなぞをバリバリ喰っているところである。
納豆《なっとう》売りの云い草ではないが、ちょっと見たところ、こんなものはとても歯にかかりそうにもなく、おまけに下品な悪臭芬々として、いかにも顔をそむけたくなるが、喰いなれて見ると案外おいしくて、消化がよくて、身体《からだ》のこやしになること受け合いだそうである。殊に永年東京に住んでいると、こんなイカものが喰えるようになるらしいので、江戸ッ子になると納豆が好きになるのも、そんな感化を受けるからかも知れない。
納豆を喰うと掃き溜めの腐ったにおいがして、何とも云われずうれしい。殊に豆の本当のうま味がわかるような気がして、とてもこたえられぬ。
ところが東京市政でつかう砂利や石炭や鉄カンを喰うと、文化のにおいがして素敵にうれしい。そのうえに自治制の本当のうま味がわかって、あした懲役に遣られることがわかっていても、やめる気にならぬものだそうである。
目下の東京は、大仕かけの復旧から復興へと、全力を挙げねばならぬ時機に際会している。これから先、バラスや鉄管や石炭、木材、セメントなぞいう、自治制のうま味をタップリ含んだ「復旧」、又は「復興」と名づくる御馳走の材料がどれ位入るかわからない。
東京の市会議員は多少に拘らずこれがたべたいにちがいはない。この際、市長に自治制のうま味を知っている市長が居れば、市会議員はかなり遠慮なくこれを頂戴することが出来るのである。
話は前にもどって、永田市長が去ったあと、市長の事務管掌として堀切という若いお役人が来た。その人は、中村是公さんが市長にきまるとすぐに、市長事務管掌としての感想を新聞に発表した。その趣意をかいつまんで云うと、
「東京の市政はこのままにしておくとすっかり堕落し切ってしまう。第一、今のような市会議員を選挙した市民がわるい。第二には、市長の権利が薄くて、市の下っ端の役人と市会議員とが、勝手に話し合って仕事をするような事がある。これをすべて、市長の承認を経なければ出来ないようにしたならば、市政はもっとよくなるであろう」云々。
これは手早く云えば市会議員の不正公表で、或る新聞は、
「東京市もたまには腰弁を雇って意見や指導を仰ぐ必要がある」
と書いていた。
記者は後藤、中村、永田、大道諸氏と私的に会った事が何ベンもあるので、その性格や何かもかなり知っている。これに反して堀切という人は全く知らない人であるが、この意見には賛成である。
つまり、市会議員が市の政治を料理する台所の役人の処へ押しかけて行って、勝手につまみ喰いやお毒見をするのを禁ぜよ、と云うのである。
東京市という一家の家令たる市長が知らぬ間に、台所で議員と吏員がうなずき合って、すき勝手に献立てを作って、ドシドシつまみ喰いをしたり、折に詰めて持って帰ったりする。東京市の真実の主人たる市民は、そのお流れを頂戴するために高い税金を払っているということになる。これが自治制という者ならば、世の中に自治制位阿呆らしいものはないことになるのである。
この自治制のうま味を占めた市会議員連は、こうして「復旧」という御馳走や、「復興」という二の膳に満載してある御馳走がたべたくてたまらなくなった。
いくらたべてもずんずん消化して尽きるところを知らぬ御馳走が、彼等の眼の前に山積している。真に千載一遇である。百年に一度位しか行き当らぬ宝の山にぶつかったのである。意地にも我慢にも辛棒が出来るものでない。そこで色々魂胆をしぼったあげく、始終台所に眼を光らしている前の市長を逐い出して、片っ方の眼のつぶれた豪傑を市長に、又は、部下の風紀取締になると公言して待合に入りびたる今業平《いまなりひら》を電気局長に引っぱり込んだ。
しかしそうとも云えないから、いろんな市政|行《ゆき》なやみの芝居を持ちまわってゴマ化した。後藤の親分も馬鹿馬鹿しいと知りながら、予定の通りおことわりして、いい加減な宣言書を部下に作らして新聞に発表さした。
それから市会議長の辞職、マアマアの止め役に到るまで、扨《さて》たくんだり、こしらえたりと申し上げねばならぬ。
自治制の悪模範
ここに於て記者は、高知の富豪のお坊ちゃんと生れた永田氏が、東京を去るに臨んで述べた「遺憾」という言葉に同情し、又一介の腰弁堀切氏の「意見」に共鳴せざるを得ない。何だか弱者の肩を持ちたがる江戸ッ子カブレしたようであるが、決してそうでない。何等の利害関係なしに見ていると、東京市の腐敗荒廃を救い得る唯一の道は、このお坊ちゃんと腰弁の言葉に含まれているのである。
日本の首都東京の市政の腐敗堕落が、政界の一お坊ちゃん永田氏、又は一腰弁堀切氏の言葉で救われようと思うのは非常識かも知れぬ。しかし東京市政の裏面を語るには、二人の東京市に対する告別の辞に註釈を加えるのが一番早道である。二人の言葉を記者が読んでみると、どうしても東京に対する捨てぜりふ、も一つ進んで罵倒の言葉としか思えないのである。しかもこのお坊ちゃんと腰弁の東京に対する「遺憾」を裏書するものが、かくの如く夥《おびただ》しく、到る処の街頭に満ち満ちているのである。
記者は、白日青天の下に此《かく》の如く無残に曝《さら》し出されている東京市政の破綻を見て、無限の感慨に打たれざるを得なかった。
これは決してひとごと[#「ひとごと」に傍点]でない。日本中の市という市は悉く自治制である。その自治制の欠点(うま味[#「うま味」に傍点])を最も多量に持っているのが東京市なので、或る意味から見れば流石は日本の模範都市と云えるであろう。同時に日本全国の市政にあずかる人々は、この意味で東京を模範としようと努力していないとも限らぬであろう。研究に値することは無論である。
先年、英京|倫敦《ロンドン》が大火事で焼き払われたあと、時の当局者は人類文化発展の将来を見越し、世界通商交通の前途に鑑み、将来の世界的都市として差支えないだけの市街にすべく、大英断を以て新たに都市計画を立て、今までの町割りに構わずにドシドシ理想的の図面を引きはじめた。
これを見て驚いたのは倫敦《ロンドン》市中の富豪連であった。そんなことをされては、地面の価格やのれんのねうち[#「のれん」と「ねうち」に傍点]、その他あらゆる方面に困るというので大反対の運動を起した。これに英国人一流の保守気質が共鳴して、とうとうその計画者の首を切り、富豪連の御機嫌にさわらない、昔の不便なままの形をした都市計画を遂行する役人を押し立てて、とうとう今のロンドンを作り上げた。
その不便な、不衛生な、貧民窟の増加し易い、犯罪の行われ易い、そうして保守的なブル階級にだけ都合よく、進取的なプロ階級にとって不愉快極まるロンドンが、如何に新しい英国の発達を妨げたことであろう。
更にそこから湧き出した病毒、悪思想が、或は肉体から肉体へ、又は紙から紙へと伝わり拡がって、どれ位現在の英国を悩まし労《つか》れさしていることであろう。
東京はちょうどそうなりつつある。
復興院が握り潰され、復旧案が持ちあつかわれて、今ではその復旧すらも容易に行われそうにない。恰《あたか》も東京の裡面に何者かが潜んでいて、東京を出来るだけ永く復興させまい。いつ迄も暗黒状態に置いて、自治制を思い切り腐敗させたい。そうして最後にブル階級にのみ都合のいい復旧案を保留しておきたいと考えているかのように見える。
或る種の市会議員が活躍するのはこの意味を含んでいるのである。永田前市長が、
「市区改正をやり遂げ得なかったのが残念だ」
と云ったのはここの事である。
[#改ページ]
江戸ッ子衰亡の巻
日本第一の無自覚
何でも裡面の消息を素《す》っ破《ぱ》抜くと、大抵は皮肉か憎まれ口になる。「新東京の裏面」の一篇もまたこの例に洩れない。
ところがその市政のアラを往来から数え立てて、その堕落腐敗の原因はどこにあるかと見まわして来ると、その罪は東京市民が負わねばならぬ。ことにその大部分の罪は、震災以前の東京市民、わけても吾が敬愛する「江戸ッ子」諸君が負わなければならぬことになるのである。
「江戸ッ子」というのは、つまり生《は》え抜きの東京人で、吾が大和《やまと》民族の性格の生《き》ッ粋《すい》を代表していると云われている。
京都人が日本人の上品さと意気地なさを代表し、大阪人が日本人の利口さとキタナさを代表しているものならば、それ等をゼイロクと罵《ののし》り去って、玉川上水に尻《けつ》を使い、天下の城の鯱《しゃちほこ》を横眼に睨んだ江戸ッ子
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