街頭から見た新東京の裏面
夢野久作

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)流行《はや》ったり

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)方面|行《ゆき》乗換えエ

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「米+參」、第3水準1−89−88]粉細工《しんこざいく》
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   市政の巻



     品川駅の蓄音機

 万世一系のミカドの居ます東京――。
 黄色人種中最高の民族のプライドを集めた東京――。
 僅か五十幾年の間に日本をあれだけに改造した東京――。
 思想でも流行でも何でもかんでも、日本でモテたり、流行《はや》ったりするものの大部分はここからはじまる東京――。
 日光、京都、奈良そのほか日本の古美術や名所古跡に感心し、ゲイシャガールに涎《よだれ》を流し、能楽《ノーダンシング》に首をひねる前に、是非ここの黄色いホコリを吸わねばならぬことになっている東京――。
 そのほかあらゆる意味に於てヤマト民族を代表し、国際問題の大部分に於て東洋を代表し、芸術なんどの方面ではうっかりすると人類文化の最も高い方面を代表しているところもある東京――。
 その東京が一撃の下に殆ど全域にまではたきつぶされたという事は、日本全国はもとより世界の人々を驚かすに充分であった。
 更にその一度たたきつぶされた東京が、どんな腰付きで、どんな表情をして起き上るかということは、全人類の視聴を惹《ひ》くに充分であった。
 記者が震災一年後の東京を見に行ったのも、この意味に外ならなかった。
 震災後初めて東京に行く人は、先ず品川駅に着くとホームの雑音にまじって、
「品川ア――……品川ア……山の手線、新宿……方面|行《ゆき》乗換えエ……品川ア――……品川ア――……お早く願いまアす……」
 という特別に異様な割れ鐘声を聞くであろう。記者も変な声だなと思って、窓から首を出して見た一人であったが、不思議なことには怒鳴っている駅夫の顔が見えない。変だなと思ってキョロキョロ見まわすと、それはホームに備え付けられた蓄音機で、声自慢の駅夫に吹きこませたものだとわかった。
 いずれ鉄道省の新しい試みであろうが、折角《せっかく》の事なら鶯の初音のような声にしたらどんなに有り難いことであろう。それとも寧《いっそ》の事、有名な女優か何かの声にでもしたら、ホームの雑音にまぎれず、旅客も耳を澄まして聴くだろう。殺気立ったり疲れたりした旅客の心理状態を和《やわ》らげる上からいっても、御趣旨徹底の上から見ても、まことに結構であると思われるが、いずれにしても新しいには間違いない。この塩梅《あんばい》では震災後の東京は余程新しくなっているであろう。交通巡査に自動人形を立たせ、市長の椅子に盲判押捺《めくらばんおうなつ》器を据え付けていはしまいかと、取りあえず度肝を半分ばかり抜かれたのであった。
 東京駅に着くと、駅前に何百となく蟻《あり》のように這《は》いむらがる自動車、その向うに流るる電車の行列、煙のように集散する人、その又向うに数万の電気を点《とも》して、大空を蔽うて立つ数個の大ビルディング、そのようなるものの間から湧き起り、渦巻き散る様々の雑音、うなり、響き、叫び、とどろきは、気のせいか震災前に数倍して物凄いようで、田舎に居てはかなり気の利いたつもりの記者も、暫くの間ぼんやりとそこいらを見まわさせられた。
 誰しも田舎から都会に出ると、一種の圧迫を感ずるものである。家の大きさ、往来の烈しさ、その中を見かえりもせずサッサとあるく人々の態度なぞが、いずれも特別に自分だけを意地わるく、ひややかにあしらっているようで、われしらず襟元《えりもと》をつくろい、ポケットの中のものをたしかめる気になるものである。わけても日本一の東京駅前の広場には、そうした気分を作るものがすっかり取り集められている。その中を記者は、昂然と肩をそびやかして、電車道に出たのであった。

     糜爛《びらん》する浅ましい姿

 記者はこうして、九月初めから十月|半《なかば》までの東京市中を、縦横むじんにあるきまわった。蜘蛛手《くもで》掻く縄十文字に見てまわった。用事の隙々《ひまひま》や電車待つ間《ま》にはスケッチも試みた。こうして見ては考え、考えては見ているうちに、現在の新しい東京の裏面が次第に次第に見えすいて来た。あっちこっちで見たり聴いたりした事が、次第次第に一つの大きな焦点を作って来た。
 そうしてその焦点にハッキリと、又は朦朧と現われて来たものの姿と、そのうごめきを見出した時、記者は思わず眼を蔽うたのであった。
 東京は如何に甦えりつつあるであろうか。秩序、真面目、光明、穏健といったような思想を基調としているであろうか。
 市政は整然と行われているであろうか。
 市街建築や交通機関は、理想ある統一の下に整備されつつあるであろうか。
 市民の娯楽機関は、果して健全に発達しつつあるであろうか。
 風俗は新日本の流行の中心たるに恥じないものであろうか。
 犯罪の数は、又不良少年少女の数は震災後減ったであろうか。
 各種の商売は合理的に繁昌しているであろうか。
 そうして復興の意義は、一般市民に正しく理解され、達成されつつあるであろうか。
 記者は遺憾ながら、これ等《ら》の質問に対して一つも満足な答えをすることは出来ない。唯一言「否」という言葉で片付けてしまいたいが、それすら出来ない程に東京の現在は意外な状態にあるのである。
 記者はこの稿を発表する前に幾度《いくたび》か躊躇《ちゅうちょ》した。
 これを発表するのは、新しい東京の前途に希望を持つ人々に対して、あまりに残忍な仕打ちであるばかりでない。この中にある醜い事実や例証やが、さなきだに東京を唯一無上の都市と思っている地方の人々に悪い影響を与えはしまいか、又はまだ東京を知らぬ健全な地方の人々の頭を刺戟して、「東京がそんな風ならおれ達だって」といった調子に地方堕落の素因を作ることが、万に一つでもありはしまいかと心配されたからである。
 更に今一つの心配は、記者が自身の観察力に対する疑いであった。東京の裏面を見て驚いたと同時に、記者は自分の眼と耳を疑ったのであった。果してこれが東京の真相であろうか。かように東京のすべてが浅ましく恐ろしく見えるのは、記者の感違いではあるまいか。たった一年前、記者があらゆる讃辞を以て報道した震災直後の東京の人心は、かく短時日の間に、かくも浅ましく堕落し果て得るものであろうか。願わくは記者の観察が誤りであれかし。聴き誤りであれかし……。
 こうした記者の最後の気弱さは、記者を東京市役所、警視庁、その他二、三の官庁に押し遣って、それぞれの当局者について質問をさせた。
 然るにその人々は、皆記者の観察や説明に平気で……否、寧《むし》ろ吾が意を得たりといった風に裏書をしてくれたのみならず、記事に適切に当はまる参考材料まで提供してくれた。
 その態度は記者がその誠意を疑うほどに非官吏的、公開的であった。寧ろ投げ遣り的に「秘密」の印を押した書類なぞを見せて、あくびまじりにいろんな呑気《のんき》な話までした。
 その話の中に記者が聴きのがすことが出来なかったのは、どの官吏もが共通的に左の意味の言葉を口にしたことであった。
「駄目ですよどうせ。なるようにしかならないのです。私の方から発表は出来ませんが、あなたの見た通りを地方の新聞に大いに書いて下さい。東京の新聞にはいくら書いたって駄目です。東京のものが読んだって、堕落し切っているんですからちっとも感じはしませんが、全国地方の各新聞が一斉に『東京を救え』とでも書き立ててくれたら、いくらか刺戟になるでしょう。新聞に書いたら一部送って下さい」
 その言葉の中には、何のあてどもない、行き当りバッタリ式の仕事をしている人々の心の痛みがこもっていた。見かけだけ美しくて、内容の乱れ腐れて行く東京を見ながら、どうする事も出来ない人々のダラケタ頽廃した哀愁がこもっていた。
 又或る退職した高級官吏はこう云った。
「『東京を救え』も面白かろう。しかし大抵の奴が東京を救いに来たって、木乃伊《ミイラ》取りの木乃伊になってしまうよ。東京に一日も居れあ、大抵田舎が馬鹿臭くなるからね。アハハハハハハ」
 記者は頭をうなだれてその人の門を出た。秋の日と、赤トンボの流るる東京郊外から、牛込の宿まで帰りながら考えた。そうして思い切ってこの筆を執《と》りはじめたことであった。
 勿論これが記者の見たり聴いたりした全部ではない。その大体の概念だけ(たとえば市政の項)、又はその一部の要点の中で面白いところ(たとえば不良少女の手紙)だけである。あまり深く突込めないところもあるし、又いくら書いても書き切れないところもあるからである。唯これに依って、新しい東京の裏面が如何に浅ましく、悲しく、奇怪なものであるかということを読者に印象せしめ得れば、記者の望みは足りるのである。

     市長|更迭《こうてつ》の表裏

 ジャンジャンジャンジャンジャン、「東京市長の辞職……」
 という声をきいて、車の窓から買って見る。
「大道良太氏東京電気局長に就任と共に市長永田秀次郎氏の辞表提出云々」
 と大みだしが付いて、永田市長の談が掲載してある。
「只今東京市長の椅子を去るのは実に遺憾千万である。殊に市街の整備を理想的にやるつもりでいたのが出来なかったのは千秋の恨みである。しかし止むを得ない。更迭した電気局長即ち市の重要機関の首脳者と僕との間に何等の理解も存在しないのだから」
 東京市民の大部分は皆驚いた。そうして変に思った。
 東京市長永田秀次郎氏は、後藤新平氏のあとを受け継いで東京市長の椅子に座ると間もなく、彼《か》の大変災に出会った。高知の富豪の子で、人格者で、大男で、文芸趣味に造詣《ぞうけい》が深く、寝ころんでも愉快に生涯を送れる身分でありながら、七面倒臭い東京の市長になって、兎《と》も角《かく》も利欲に眼をくれず、どっちかといえば大した過ちもなく、あれだけの世話を焼き通して来たところを見ると、余程の自信と覚悟とがあったものと見なければならぬ。それが市区改正の大事業……言葉を換えて云えば東京の改造……否、寧ろ日本文化の中心改造という大仕事を眼の前に控えながら、高が一局長の椅子に市会が押し上げた人物が気に入らぬ位の事で、市長の椅子を蹴飛ばす程短気であろうとは、誰しも想像し得ないところであっただろう。
 永田氏が去ると同時に、その部下の有力者数名もバタバタと辞表を出して椅子を離れたので、東京は首無し死体どころではない。首から上が抜けてしまって、一時ヨイヨイのようになってしまった。
 も一つ驚いたことには、新たに電気局長の椅子にねじ据わった大道良太クンが、なかなか座り腰の強いことであった。部下がストライキを起しても、新聞で嘲られても恬《てん》として知らぬ顔で、あべこべに盛《さかん》に熱を吹いて、「俯仰天地に愧《は》じぬ」とか、「断じて市会議員を買収したおぼえはない」とか云っていた。
 その口の下から、怪しい市会議員がドシドシ検事局へ引っぱられた。そうして買収された罪状が一々明白になったにも拘らず、大道局長は依然として反《そ》り身《み》になって、例の鼻眼鏡を光らしていた。
 サア、みんなわからなくなって来た。見様《みよう》によっては永田が意気地なしで、大道がシッカリしているようにも見える。とにかく門鉄局長以来、好人物の小才子で通って来た大道良太先生に、どうしてあれだけの糞度胸があるのだろうとみんな舌を捲いた。
 すると又わからないことが出てきた。
 後任市長が無いというので、方々《ほうぼう》の人格者や名望家なぞに市会の銓衡《せんこう》委員が押しかけてまわったが、みんな体《てい》よく断られた。その断りかたがいずれも奥歯に物の挟まったように叮嚀《ていねい》で、何だか「東京市長になるのは一大の恥辱です」という、恥辱の
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