るようである。つまりそんなに早くブルにはなれないし、よしんばなれても近頃流行の社会主義が怖いから、止むを得ずいくらか安っぽいブル趣味に「文化」と名をつけて、お茶を濁した生活をしているのだとも見える。
 何の事だ、馬鹿馬鹿しい。それならそうと早く云えばいいに、「文化」だとか何とか今道心見たような名を付けるからわけがわからなくなる。
「ブル化」と云った方が早わかりするじゃないかと一時は思ったが、これは文化生活の内容を見ない前で、一度実際をのぞいて見たらナアール程と又首をひねらせられた。
 文化生活にはもっともっと深い意義がありそうである。頭の悪い記者にも気の付いた条件が三ツ四ツあるが、そのいずれもがなかなか意味深長である。

     老人と子供排斥

 文化生活とはどんなものかと、所謂《いわゆる》文化住宅をのぞきまわって見る。
 文化住宅は市内にもチラチラ見える。中野や大崎には集団を作っている。文化住宅の模型だけを並べている建築屋もある。
 そんなのを見てまわると、どれもこれもバラック趣味の凝り固まりである事が第一番眼に付く。文化生活の第一条件は、その住宅が必ずやバラック趣味でなければな
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