のであると感じた。
さなきだに東京の人間は、江戸の昔から家に対する執着心が薄かった。
「一人もの店賃《たなちん》程は内に居ず」
「煤掃《すすは》きも面倒臭いと移転する」
で、家に対する執着が誠に少ないところへ、大地震と大火事で肝の潰れる程の教訓を受けたのだからたまらない。その後も引き続きグラグラと来るたんびに、何でも身に付く以外のものは無くなっても構わないようにという気持ちになって来た。
一方、震災後地方から押し上った連中も、早速この風《ふう》にカブレてしまった。コレという家財も無い身の軽い生活がこの道楽に陥り易い事は云う迄もない。況《いわ》んや「風采即信用」という風俗の格言が滔々として世を蔽いつつあるに於てをやである。
つまり、こうしておつとめ服の身のまわりにさえ金をかけておけば、借金取りでも滅多に寄り付けぬ。質に置くにも都合がいい。そうして素破《すわ》という場合にはいつ何時でも、手と身とツンツンで飛出しさえすればこっちのものになるというわけである。
支那人が股倉に金を貯め、駱駝が胃袋に水を溜め、猿が頬ペタに袋を下げ、牛が胃袋を四つ持っているところを、日本人だけに着物で気前
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