人力車が繁昌するそうである。
福岡あたりの電車は、小さな停留場を無闇《むやみ》に殖やして、お客を拾うことに腐心しているようであるが、東京では正反対だから面白い。
一寸坊揃の女車掌
東京は広くなるばかり。
人間は殖《ふ》えるばかり。
電車はこむばかり。
この三ツの「ばかり」のために東京市民がどれ位神経過敏になるかは、実際に乗って見た人でなければわからぬ。
前に云った電車の昇降口の生存競争、優勝劣敗から来る個人主義は車の中までも押し及ぼされて来ることは無論で、時と場合では、福岡あたりでは滅多に見られぬ、釣り皮の奪い合いまで行われるようになっている。
世間は広いもので、たまには老人や女子供に席を立ってやる人もないではないが、ごく珍らしい方で、見付けたが最後、早く腰をかけなければすぐに失敬されてしまう。同時に、初めから腰なぞをかけようとは思わない覚悟の人も多いらしくて、却《かえ》って夕刊を読むために、電燈に近く陣取って動かない人なぞがチョイチョイ見うけられる。
車掌はこれと反対に、益《ますます》冷静になって来たようである。これも一種の個人主義であろうが、車内が雑踏
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