と「アクドサ」を極度に発揮したものである。これも処柄《ところがら》とはいいながら、あまり甚だしいのでギョッとするようなのも珍らしくない。
この気分の中心は、無論、浅草の第六区であるが、ここは論外である。
尤も論外と云えば浅草全体が論外かも知れぬが、震災後はそれが一層甚だしくなった。ヘドの出そうな建築の彩り、眼の玉を引っ掴む広告、耳にたたき込む音楽、魂を奪わねば止まぬ旗や、看板なぞが、押し合いヘシ合い競争をして、気も遠くなる程バラック気分を煽《あお》り立てている。その安ッポさ……物凄さ……。
ところが吾妻橋を渡って河一すじ向うに行くと、ガラリと別世界に来たような気持ちになる。
深川のセメント、安田邸、日本ビールなぞいう大建築がチラリホラリとしているだけで、あとは二階さえない位の安バラックや、震災当時のままの掘立小屋、又はそれ以下の乞食にも劣る「屋根石――十間板」のつながりである。
しかもそれがベタ一面にあるわけではない。震災後まだ草も生え込み得ない焼け土の空地が到る処にあって、甚だしきに到っては、震災当時この辺に漲っていた死骸のにおいを残しているところもある。
このにおいは、
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