…。
 たった五ツと云う勿れ。これ等の一つでも大人国の重箱の何千層倍あろうか。学理と実際……鉄とセメントの化け物然として、吾が国の建築界空前の盛観を作るかのように見えた。
 これを見て憤慨したのは日本の「地震|鯰《なまず》」であった。
「ヤンキーがヤンキーなら、ジャップもジャップだ。学問だの数学だのと、あとから出来たものにばかり驚いて、弄戯化《ふざけ》た真似をしやがる。百年前に生れた奴は一匹も居ないと見える。憚《はばか》りながら日本の地震鯰様は昔から無学文盲で押して来た人だ。文明や最新式位に驚く人じゃねえ。畜生、見やがれ……」
 と云ったかどうか。
 これも腕に撚《より》をかけた向う鉢巻という奴で、そこいらを一ツゆすぶった。
 東京会館は腰を抜かした。
 丸ビルは全癒三ヶ年の重傷を受けた。そのほかのも、腰から向う脛《ずね》のあたりに半死半生の大傷を受けて、往来から中の方がのぞかれるという始末。内外ビルなんぞは、最初の一ユレで八階から地下室までブチ抜けて、数百の生霊をタタキ潰すというウロタエ方であった。
 そのみじめな残骸を見てまわると、吾が日本の「地震鯰」も嘸《さぞ》かし溜飲が下ったろうと思われる痛快さである。
 然しこれは学理ばかりで実際を推し測った最新式の建築ばかりで、そのほかの「地震鯰」を馬鹿にしなかった建築はチャンと残っている。その多くは割り合いに時代の古い、旧式の設計で出来た鉄筋や煉瓦なぞで、海上ビル、東京駅、帝国ホテルその他である。
 その中でも帝国ホテルは極《ごく》新しい方ではあるが、その代り「地震鯰」に敬意を払い過ぎて、地面に四ツ這いに獅噛《しが》み付いた形をしていただけに、ヒビ一つ這入っていない。聞けば技師は米国でもかわり者で、「おれの建築のねうちは今は分らない」と云っていたそうであるが、成る程もうわかった。日本の鯰と親類だったかも知れぬ。
 こんな事実を眼のあたり見て行くと、そこに何らかの暗示がありはしないか。
 活動や風俗はもとより、商店の広告からカフェーの設備と、何から何まで米国式流行の日本に何等かの警告を与えている「ある意味」が潜んではいないか。
 すくなくとも、一種の「恐米病」又は「酔米病」に囚われている日本には、しっかりしたものは一人も居ない。只「地震鯰」が一匹控えているだけという証拠になりはしまいか。

     青空を又押上げる?

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