バラック気分を天下に宣伝している。現在、その中で呼吸をしている新東京の住民なぞは、もうバラックという言葉までも忘れているらしい。
 然るにバラックの中に居ながら、バラックの中に居る事を忘れている時は、バラック生活が苦にならなくなっている時である。魂までバラック式になっている時でなければならぬ。
 新しい東京に来る人も何より先にバラックが眼につく。すべてがバラック式……派手で便利で手軽でハイカラで……といった調子で、「サスガ東京」とすっかり感化されてしまう。「新しい東京人」が出来上るといった順序である。
 恐ろしいもので、こうして東京人の精神的生活の裏面には、チャンと「バラック」の感じが反映している。そうしてバラック式のリズムを作って、様々の悲喜劇を漂わし、いろいろな流行を移りかわらせている。
 そこに吾が大和民族の新しい文化の中心の「におい」があり、色彩《いろどり》がある。
 生れかわった彼女……「東京」は新しい「バラック」の着物を着てシャンシャンシャンとあるいて行く。どこへ行くのかわからぬが、如何にも得意そうで又嬉しそうである……が……扨《さて》……。
 高い処に上って見ると、見渡す限りバラックの海である。青、赤、茶、白、黒、黄、紫、灰色なぞの屋根が、生地のトタン屋根と一所《いっしょ》に太陽の下に波を作って、焼け木の森に打ち寄せ、鉄橋を漂わせ、小山を這い上り、煙突を浮かせつつ、果ては銀灰色の空の下に煙のように消え込んでいる。その間に黒い枯木が散らばる、廃墟のような大建築が隠見する、煤煙が流れ、雲が渡り、鳶が舞い、飛行機が横切る。
 震災後間もない去年九月十四日に撮った写真を見ると、一町内に二三軒|宛《ずつ》位の割合で建っていたのが、今では殆ど立ち塞がっていると云ってよかろう。黴菌《ばいきん》や虫ケラの力も恐ろしいが、人間の力もこうなるとエライものである。
「早いものですなあ」
 とみんな挨拶のように云うが、実際挨拶に云っても差支えない位すさまじい早さである。
 バラックの海を眺めて復興の力の偉大さに驚く人は、同時にその底を流るる活動力の清新さを感ずる人である。新しい板壁の反射や生々しいペンキの色は、そうした感じを象徴して際涯《はてし》もなく波打ち続いている。
 一度|灰燼《かいじん》となった吾が大和民族の中央都市が、かような活力と元気とに依って溌溂と蘇らせられつつ
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