して青白く、つめたく、浅い光りを放ちつつ、東京市中をさまようているのである。そうして田舎者を魘《おび》えさしているのである。
 流石の大地震も大火事も、彼等の自覚的無自覚を呼びさます事が出来なかったらしい。彼等は永久に彼等の墓原……都大路をさまようのであろう。
 しかし彼等智識階級ばかりが江戸ッ子ではない。まだほかにいろんなのが控えている。
 まっ先に飛出して来るのは熊公八公の一派で、記者が最も敬愛する連中である。記者みたいな田舎者を見ると、
「てめえ達あ、しるめえが……」
 と来るから無性に嬉しくなる。
 屋台店なぞをのぞくと、
「おめい、どこだい。フン九州か……感心に喰い方を知っているな。どうだい、一《ひと》ツ、コハダの上等の処を握ってやろうか。何も話の種だ。喰ってきねえ、ハハハ」
 という大道|傍《ばた》の親切が身に沁みて忘れられぬ。
 智識階級の連中はどうでもいいとしても、そんな連中は震災後どうしたか。いくらか昔の俤《おもかげ》を回復したか知らんと、見に行って見た。
 智識階級は主として山の手や郊外に居るが、彼等は大抵下町に居る。先ず神田辺から相生町、深川の木場、日本橋の裏通り、京橋の八丁堀、木挽《こびき》町、新富町あたりの彼等の昔の巣窟を探検して見ると、どうしたことか彼等の巣窟らしい気分がちっともない。
 ひる間ならオッカーのスタイルや、井戸端ではない共用栓の会議ぶり、朝夕なら道六神や兄いの出這入り姿、子供の遊びぶりを見ると、すぐに江戸ッ子町なると感づかれるのである。さもなくとも理髪店のビラの種類、八百屋や駄菓子屋の店の品物、子供相手の飴細工《あめざいく》や※[#「米+參」、第3水準1−89−88]粉細工《しんこざいく》の注文振りを見ても、ここいらに江戸ッ子が居るなと思わせられるものである。それが震災後のバラック町になってから、そんな気はいがちっとも見当らなくなった。
 神田の青物市場付近なぞは随分神経をとんがらして見たが、成る程、江戸ッ子らしい兄いや親方が大分居るには居るけれども、よく見ると、彼等のプライドたる鉢巻きのしぶりや売り買いの言葉なぞに、昔のような剃刀《かみそり》で切ったような気が見えぬ。その他、朝湯に行くらしい男のスタイルを見ると、頭の恰好、着物の着こなし、言葉付き、黒もじのくわえぶりに到るまで、非常に平凡化しているのは事実である。
 記者は
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