種の中でも最高級に属するデカダン趣味を、記者はこの時初めて理解し得たのであった。
 こんなのは例外として、今度は往来を歩いている普通の知識階級の江戸ッ子を見まわしてみよう。そうして、彼等が本当に滅亡すべき人種かどうか研究してみよう。
 智識階級の江戸ッ子といっても、一概には云えない。中には変りものや、凝り性、気まぐれもの、又は一種のダダイズムとも見るべき変通人なぞが居るから、往来を歩いてもちょっと見わけにくい。支那や朝鮮の留学生を見わけるのよりも無論骨が折れる。
 殊に震災後は服装がまちまちになったので一層わかりにくくなったが、しかしすこし気を付けるとじきに眼につくようになった。江戸ッ子は飽くまでも江戸ッ子である。
 東京に初めて出て来て往来をあるく人を見て、真先に眼に付くのは田舎者とハイカラ、貧乏者と金持ちの対照である。
 これに反して、江戸ッ子は最も眼に付きにくい部類に属するのであるが、しかし彼等の大部分は気取り屋だから、自ら平凡な市民と区別が付く。しかもその気取りかたは、そこいらの気どり方とはまるでちがう。江戸ッ子特有の気取りかたで、これを解剖的に見てゆくと、現在の江戸ッ子のねうちが自然とわかることになる。
 第一は服装である。
 古いありふれたところでは、足袋《たび》と下駄《げた》が新しいとか、襟垢《えりあか》がついてないとかいうのであるが、前にも云ったようにこの頃の服装はいろいろになって来たから、それ位のことでは標準にならない。要するにちょっと眼に立たないで、よく見ると垢抜けがしている……というのが最も平たい言葉であろう。
 パッとした、気取った風采をしているのは、江戸ッ子ではない。
 最新流行仕立|卸《おろ》しのパリパリを着ているのも、どちらかといえば江戸ッ子でないのが多い。
 こう云って来ると馬鹿に六ヶ《むずか》しいが、とにかくどんな姿をしていても、アクドイ嫌味なところがなく、女の髪の結い振り、化粧ぶり、襟や着物の取り合わせ、男なら帽子とオーバー、持っている風呂敷の柄やネクタイなぞ、色や柄がちっとも眼に立たずにチャンと気取っていて、しかもどことなく気位を持っている。すべての点に於て、田舎者や無教育なもの、又は無趣味なものと思われまい、そこいらの野暮天と一所に見られまいという注意が、極めてこまかく払ってある。

     亡国的の消極主義

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