いことであろう。それとも寧《いっそ》の事、有名な女優か何かの声にでもしたら、ホームの雑音にまぎれず、旅客も耳を澄まして聴くだろう。殺気立ったり疲れたりした旅客の心理状態を和《やわ》らげる上からいっても、御趣旨徹底の上から見ても、まことに結構であると思われるが、いずれにしても新しいには間違いない。この塩梅《あんばい》では震災後の東京は余程新しくなっているであろう。交通巡査に自動人形を立たせ、市長の椅子に盲判押捺《めくらばんおうなつ》器を据え付けていはしまいかと、取りあえず度肝を半分ばかり抜かれたのであった。
東京駅に着くと、駅前に何百となく蟻《あり》のように這《は》いむらがる自動車、その向うに流るる電車の行列、煙のように集散する人、その又向うに数万の電気を点《とも》して、大空を蔽うて立つ数個の大ビルディング、そのようなるものの間から湧き起り、渦巻き散る様々の雑音、うなり、響き、叫び、とどろきは、気のせいか震災前に数倍して物凄いようで、田舎に居てはかなり気の利いたつもりの記者も、暫くの間ぼんやりとそこいらを見まわさせられた。
誰しも田舎から都会に出ると、一種の圧迫を感ずるものである。家の大きさ、往来の烈しさ、その中を見かえりもせずサッサとあるく人々の態度なぞが、いずれも特別に自分だけを意地わるく、ひややかにあしらっているようで、われしらず襟元《えりもと》をつくろい、ポケットの中のものをたしかめる気になるものである。わけても日本一の東京駅前の広場には、そうした気分を作るものがすっかり取り集められている。その中を記者は、昂然と肩をそびやかして、電車道に出たのであった。
糜爛《びらん》する浅ましい姿
記者はこうして、九月初めから十月|半《なかば》までの東京市中を、縦横むじんにあるきまわった。蜘蛛手《くもで》掻く縄十文字に見てまわった。用事の隙々《ひまひま》や電車待つ間《ま》にはスケッチも試みた。こうして見ては考え、考えては見ているうちに、現在の新しい東京の裏面が次第に次第に見えすいて来た。あっちこっちで見たり聴いたりした事が、次第次第に一つの大きな焦点を作って来た。
そうしてその焦点にハッキリと、又は朦朧と現われて来たものの姿と、そのうごめきを見出した時、記者は思わず眼を蔽うたのであった。
東京は如何に甦えりつつあるであろうか。秩序、真面目、光明、穏健
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