く押し曲げさえすればズボンのポケットにでも何でも這入るから、鳥打帽と両方持っていてもちっとも邪魔にならない。すなわち校門を這入る時には制帽を冠り、電車に乗る時には鳥打を冠る位の手品は何でもないので、只その都度魂を入れかえるのが面倒臭いだけになる。但、そんなに手早く魂を入れ換え得るかどうかは、帽子と違うからちょっと外から見わけにくい。そこを付け込んで彼等は盛に制帽と鳥打帽を使いわける。
 使いわけると云っても取り換えるだけの事だから、ちょっと考えると何でもないようであるが、なかなかどうして、大学を卒業してもこの鳥打帽使いわけの奥義に達しないのがいくらでも居る。ウッカリすると学校のどの科目よりも六ヶ《むずか》しいかも知れぬ。
 先ず見易いところから例を取ると、真面目な家庭を訪問する時には制帽を冠る。散歩する時には無論鳥打帽である。
 儀式ばった処へ行くのには制帽で、活動を見に行く時は鳥打でなければ工合が悪いらしい。
 お医者に診てもらいに行く時には制帽がよろしいが、弁当代りにサンドウィッチを喰いに行く時は鳥打帽にかわる。
 割引切符を買う時は無論制帽の方が都合がいいが、汽車に乗り込んでしまうと必要はない。
 教科書を買う時の気分は制帽であるが、Y書を買う時の心理状態は鳥打の下に隠れねばならぬ。
 故郷の親元に送るらしい写真は大抵制帽を冠るので、顔付きが似なくて困ると写真屋が云うが、鳥打帽のはどんな処に送るのやら……。この辺になると大分手際が鮮かな方であろう。
 女学校の運動会見物、慈善市《バザー》、野外劇《ペーゼント》、クリスマス、その他の催しのお手伝いなぞには、制帽の方が殊勝らしくていいそうであるが、それが済んだ夜の帰りがけに、思う人と連れ立って行く時は鳥打帽を冠るべしだそうである。
 そのほか展覧会、校友会、由緒ある会、出たらめの会なぞ、それぞれ鳥打帽と制帽の使いわけ方がある。その冠って来た帽子が制帽か鳥打帽であるかに依って、その会合を理解しているかいないかがわかるという位デリケートな研究を要するので、無暗《むやみ》に上等の新流行で身のまわりを飾って、ハイカラと心得ているような連中は一ペンに落第してしまう。

     学生と見られぬため

 東京の学生の制帽と鳥打帽の使い分け方を街頭から見ただけでもかなりいろいろあるが、単に鳥打帽だけの冠りわけでもちょっと研究を要
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