った。
 たとえば、丸の内やその他各区の各方面の往来の到る処に行われている道路工事が、下水の事を殆ど念頭に置かないでドシドシ行われていることは、どんな素人眼にもわかる。否、下水ばかりでない。少し気を付けて見ると、水道管や瓦斯《ガス》管、地下線、そんなものは一切お構いなしに、只|上《うわ》っ面《つら》だけをアスファルトや木煉瓦《もくれんが》で塗り埋められていることがよくわかる。
「こうやっておいて、又じきに掘り返すんだからなあ。そうして税金をドシドシかけて来るんだから、イヤンなっちまう」
 という言葉は、道路工事で入り口を閉《ふさ》がれた商店の人々が一様に云う不平である。
「何でもおれ達の任期中にやっ付けてしまえ、今度当選するかどうか分からないから」
 と市会議員が相談したかどうか知らないが、こんな乱暴な工事をこう無暗《むやみ》に進行させるところを見ると、何だかそう思われてならぬ。
 この工事がちゃんと筋道の立ったもので、将来の都市計画に差支えない処だけやっているものであるかどうかということは、市民にちっとも知られていないらしい。隅田川にも、大きな橋が一つ二つ新しく架けられているようであるが、これとても同様である。
 永田前市長の案か市会側の提案か知らぬが、事実から推して見ると、東京市の道路工事は、都市計画なんぞはどうでもいい、復旧も復興も構うことはない、工事だけドシドシ進行すればいいのだという風に見える。
 それを東京市民はアッケラカンと立ち止まって見物しているのである。
 それ許《ばか》りでない。
 震災後、東京市中の道路は恐ろしく悪くなった。日比谷公園前の近江《おうみ》の湖《み》を初めとして、新しい東京八景が出来ているが、それは皆、往来に山や谷や湖や川が出来たのに対して名づけられたものである。何も無い処でも一間置き位に、深さ数寸、さし渡し一尺位の穴がベタ一面にあいている。
 そのために東京市中をテクる腰弁の群れは、殆ど全部が雨天の時に長靴をはくようになった。当り前のオーバーシューズではうっかりすると沈んでしまうし、自分のハネや自動車の泥煙を防ぎ切れないからである。
 晴天の日でも自動車は出来るだけ徐行する。うっかり急ぐと、乗っているものは腰かけからハネ落されるからである。過日《こないだ》のしけ[#「しけ」に傍点]の時などは、下水を溢れて滝のように流るる汚水の中に
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