がわからなくなっている。
文化生活、文化村、文化住宅、文化机、文化|竈《かまど》、文化タワシ、文化丼、文化|饅頭《まんじゅう》、文化|煎餅《せんべい》、文化まめとなって来ると、どこが文化なのか見当が付かぬ。
縁日に出ている停電用の燭台や電球蔽い、書翰箋やインキ壺まで文化と名づけてある。かと思うと、書物には文化出版、売り出しは文化的提供、文化的家具一式、叮嚀親切薄利多売は文化的広告なぞいう看板がある。
つまり安くて便利で重宝でハイカラなのが「文化」かと思うと、そうでもないらしい。
この頃、文化納豆というのが出来たというから八百屋(東京の)に行って見せてもらうと、羊羹《ようかん》包の位なヘギの折りに這入っていて一個十銭である。普通のが五銭だから、よっ程上等だろうと思って喰って見ると、只の納豆で別にかわった事はない。只|高価《たか》いだけである。
生れつき頭の悪い記者は、念のため今一度買った八百屋に行ってきいて見たら、「今までの藁苞《わらづと》に這入っているのでは、そのままお膳に乗っけられませぬ。つまり文化的でないというので」と云う。「じゃどうして高価《たか》いのだ。この箱代が五銭するのかね」と聴いたら、「新婚の御夫婦や何かは、大きな声でナットー屋アなんかとおっしゃりにくいと見えましてね、こちらがお気に召すらしいのですよ。エヘ………」と妙な文化式の笑い方をした。トテモワカラナイ。
新聞の広告や何かに「文化的○○薬」だの「文化○○サック」なぞいうのを発見して、文化の意義をいよいよ怪しんでいると、或る横町で文化焼芋というのを発見した。近寄って見ると、皮を剥《む》いて丸焼きにしたところが「文化」なのだそうな。アライヤダ。イヨイヨ小三の落語式になって来た。
この塩梅《あんばい》じゃ足を棒にして眼を皿にしても、「文化」の定義は見つからないと諦めた。
ところが文化の方では、なかなかそれ位の事では承知しない。まだまだ沢山あるという。何だと聴いて見ると、必ずしも文字に書いてなくとも、文化の意義を含んでいるものが数限りない。近頃|八釜《やかま》しい「性教育」には立派な文化的意義があるので、女学校で教えるお料理に必ず出て来るテンピも、文化生活になくてならぬものだそうである。フライパンや紅茶沸かしは云うまでもない。
こいつを今一層文化的にすると、
「御飯とお惣菜《そうざい》は
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