ょうとくい》でなくなった。現代式とか文化的とかいう言葉を理解する新東京人……半田舎者を相手にしていることがわかるであろう。
その中に観音様だけは、昔の通り純江戸ッ子と純|赤毛布《あかゲット》だけを相手にして御座るわけになる。
新東京人――即ち半分東京化したバラック住民の偉大な勢力は、単に浅草の商売に反映しているばかりでない。第一流どころの大商店の商売振りにも明らかに影響しているのである。
全国的に有名なる貴金属商店では、地震が落ち付かぬうちに全国の各都市に支店を作って、有らん限りの品物を送り付けた。もう東京は駄目だ、その代り地方が繁昌するに違いないと、機敏なところを見せたつもりであったらしいが、豈計《あにはか》らんや事実は正反対になった。
昨年の冬から今年の春へかけて、貴金属や宝石の売れる事売れる事。但、それは大抵中等以下の品で、買いに来るものは、十中八九まで大工、左官その他の労働者の家族であった。
遷都の御沙汰がないときまった復興気分の凄じさ。その反対に人手は不足と来たので彼等の恵まれた事。大工や左官なら仕事の真似さえ出来れば一日五円六円という景気で、銀行や会社が地震をキッカケに大淘汰や大縮小をやったのと正反対の現象を呈した事。その勢《いきおい》が東京市中に数倍の飲食店を作り、安流行、安贅沢品を流行《はや》らせると同時に、かような大商店にまでも影響したので、一時は実に物凄い程の売れ行きであった。
その貴金属商の支配人は驚くまい事か、各支店に「品物を大至急送り返せ、あとは店を畳んで引返せ」と、電報の櫛の歯を引いたという喜劇をやったそうな。
眼を驚かす眼医者
今一つこれも全国的に名を知られている或る百貨店《デパートメントストア》では、地震後の東京を見限らずに、却《かえ》って大拡張をする方針を取った。即ち本店を復興すると同時に、東京市内各区に一つ宛《あて》デパート式のデパートを作ったが、それがズドンと当って繁昌するわ繁昌するわ。尤《もっと》も一時その筋で各商店の品物を調べた時、味噌の斤量が足りなかったというので、「ミソコシが怪しい」という洒落《しゃれ》まで出来たが、それでも驚かずに盛に押寄せる。しかも品物を先ず支店に廻して、売れ残ったのを本店に持って来ると、忽ち売れてしまうという新発見をしたというので評判になっている。
その各支店をまわって
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