こうした現代式は単に浅草の仲見世に限らない。第六区の方へ抜けて行く左右の通りの店はみんなそうである。
 かなり大きな洋品店でも奥の方から一々持ち出す模様はなく、洗い浚《ざら》い店に並べて、一ツ残らず名刺型の紙に洋数字を書いてくっつけている。
 中には半紙三枚続き位の西洋紙に、
「可驚《おどろくべき》提供《ていきょう》……二円八十銭」
 と色インキで書いてブラ下げて、その下に相当な中折れ帽を硝子《ガラス》の箱入りにして、店の前に出してあるのもある。つまり値段を看板にしたわけである。「薄利多売主義」とか「負けぬ代りに安い」という看板は、こんなのに比べるととても廻りクドくて問題にならぬ。
 但、その帽子を手に取って見ると、途方もなく大きいので誰も買おうとしないが、それでも相当に人だかりがしている。この辺も浅草式の代表的なところであろう。
 そのほか浅草のカフェーの菓子、握りすし、盛すし、天プラ、印形、青物なぞ、何でもカンでも正札付きで、中には支那料理の折詰なぞいう珍品もある。

     無正札は「女」だけ

 浅草辺の店ではショーウインドに凝った趣向なぞを用いない。旗や看板なぞを極端に派手にする代り、店の中は窓も棚もテーブルも一面に商品を並べて、悉《ことごと》く大文字の正札をつけておく。いらっしゃいとも何とも云わぬ……という式が多い。
 こうしておけば、買わぬはお客の自由というように見えるが、実はそうでない。安いものは通りかかりにでもちょっと眼に付く。ふりかえる。立ち止まる。よく見る。ほかのと見比べる。気に入ったのがあれば買う。無ければ買わないという直接法の一点張りで、品物のよしあしは別として、まことに手数がかからない。
 流石《さすが》に丼屋や何かいう喰物店は実物を並べて正札をつけてはないが、それでも中に這入《はい》ると壁一パイの正札である。喰べる処は大抵椅子|卓子《テーブル》式で、腰をかけるとすぐに、
「何に致しましょう……畏《かしこ》まりました……エエ、五十銭に八十銭に一円……一円二十銭と四通りで……」
 とあたりに響く大きな声で正札を云う。これに屁古垂《へこた》れる人間は浅草で物を喰う資格はない。
 ギリギリ決着のところ、浅草で正札の付いていないものは、「女」だけと云ってもいい位である。
 こうした大文字の正札式は浅草ばかりではない。神田、本郷、牛込あたり
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