。第一は自家用自動車で、震災後一番殖えたのはこの種類である。某自動車会社の専務取締の話に依ると、現在の東京人は「家よりも自動車」という傾向で、万一事ある場合はこれに乗って、という……矢張り地震と火事に脅かされた一種の個人主義のあらわれだそうな。いい自動車を一台置くのと、県知事を一人飼っておくのと同じ位の費用だというから、かなり相当の身分の人々にも、こうした貧民のソレと同様のみじめな個人主義が侵入して来たと見える。一寸《ちょっと》面白いような、悲惨なような、又は恐ろしいような気もする話である。
 次はタキシーだの何かいう貸自動車と辻待ち自動車で、福岡のメートル自動車と同様なものである。賃金は東京の真中から端までが平均三四円程度であろう。三人も乗れば人力車より安いが、これにはチップを遣る場合が多いからかなり高価《たか》いものに付く上に、行きと帰りの賃金が一定しない欠点がある。それから、辻待ちは殆ど東京市の目抜の通りにしか居ないので、ちょっとオックウな場合が多い。
 その次は私営の乗り合い自動車で、型のズッと大きいのが幅を利かしている。角の丸い四角型で、艸緑色《フーガスグリーン》に塗って、お尻の処にお化粧の広告を貼付けている。中には腰かけと釣皮があって、ギッシリ詰めたら二十人位乗れよう。賃金は一里三十銭位でもあろうか。電車を追い越し追い越し行くので、割り合い乗り手がある。
 運転手は電車のような制服を着た男で、車掌は福岡あたりの女学生と寸分違わぬ姿の若い女である。どっちが真似たのか知らぬが、前にガマ口の大きな位の鞄を下げていなければ、とても区別は出来ぬ。
 も一つ面白い事に、どれもこれも揃って一寸坊の姉さん位のばかりだから、どういうわけかと思ったら、これは車内の天井が低いので大きなのを採用しない結果だと、或る「通」が教えてくれた。初めは随分|別嬪《べっぴん》が居たが、切符を売る序《ついで》にほかの約束まで売るので、とても長続きがしない。今残っているのは極めて現実的な売れ残りばかりだと、序にその「通」が説明してくれた。「それはちと怪しい。万更《まんざら》でもないのが居るぜ」と云ったら、その方が怪しいと云う。何が怪しいと云ったら、怪しいと云うから怪しいんだと……何だかわからなくなった。

     半狂人を作る都会

 市営の乗合自動車で、俗に「円太郎」というのがある。話の種
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