付いた壁土であらん限りの模様を工夫して、屋根の形や柱の恰好までも変化を与えている。
特別に変ったのでは、青黒いセメントで陰気な牢獄のような四角い家を作り、前にタッタ一ツ孤光燈を燭《とも》している(水銀燈ではなかったとも思う)のがある。
亜剌比亜《アラビア》式の平べったい煉瓦積み(煉瓦は板壁にペンキで描いたもの)に、カーキー色と赤のダンダラの日除けを張りまわしているのがある。
復興《ルネサンス》式に支那式の色硝子の窓をはめて済ましているかと思うと、小学校のような平凡な家に北欧式の急傾斜な屋根を乗っけている……その近所に露西亜《ロシア》式の旧教会のような丸屋根がある……洋館に破風作りがある……と思うと、南米やアルプスあたりの絵はがきにある丸木小屋をわざわざこしらえたのもあるといったような始末……で、一面から見れば世界各国の建築様式の掃き集めと云ってよい。
ショーウインドや内部の模様はあまり管々《くだくだ》しくなるから略するが、要するに外観と同様変化自在で、その大部分は俗悪な壁紙、色ペンキ、又はケバケバしいカアテンや鏡の応用であることは云う迄もない。
東京人は、その家が地震で潰れて、大火で焼けてしまうと、すっかり気がかわった。今までの江戸時代の名残、又は明治時代の建築の中にジッと我慢していなければならぬ境遇から、一時に解放された。
同時に、地震と火事でみじめにたたき付けられた気持ちのする反動が、これに加わった。そこへ市区改正を予期した、一時|間《ま》に合せの気分が加わった。
そうした気分の東京人は、与えられたバラック建築の自由自在な手軽い特徴を利用して、持っている限りの建築趣味を発揮した。有らん限りの智恵と工夫とを表現した。その結果がこの通りだとすると、日本人の思想もあらかたこんなものではあるまいかと考えられる。誠にハヤ恐れ入った光景である。
千変万化なバラック表現の底を流るる智恵と工夫の浅墓さ、そこに流るる一種の悲哀は、直ちに日本人のアタマの悲哀を裏書するものではあるまいか。
こうした見かけばかり恐ろしく、派手な内容の、薄ッペラなバラック町の気分に朝から晩まで涵《ひた》っている新しい東京人の気持ちが、そうした影響を受けずにいられぬ事は誰しも想像が付く。しかし東京人の気分に影響するものは、単にバラックばかりではない。東京市内の交通機関、わけても電車と自動
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