気に戻った。この司令はさっきからずっと船橋の展望|硝子《ガラス》戸を通して海上の恐ろしい惨劇に魂を奪われていたのだった。
「御尤《ごもっと》も。直ぐ発令します、ワーナー団長」
二分間ほど間をおいて、ワーナー博士のところへ司令から報告があった、司令は博士の指令を実行に移したと。その頃にはサンキス号も際《きわ》どい急回頭を終わっていた。先刻までは右舷から差し込んでいた夕陽が、今は反対に左舷から脅かすような光を投げこんでいる。ひどい震動が乗組員たちの足許から匐《は》いあがってきて脳裡にまで響いた。サンキス号は今や最高速力をあげ、第二の怪事件の起こった現場から死物狂いで脱出しつつあるのだ。
三人の新聞記者たちも、それぞれの形態でこのすさまじい戦慄の空気の中に息を停めていた。ドレゴは水戸にすがりついて震えていたし、水戸は水戸で火の消えた煙草をしきりに吸いつつ硝子戸越しに泡立つ海面へ空虚な目を停めていた。ホーテンスは拳をこしらえて彼の頸のうしろをとんとんと忙しく叩きながら、わけも分からぬ言葉を繰返していた。誰も気が変になったように見え、或いは生ける屍のようにも見えた。
白髪|赭顔《しゃがん》
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