きないだろう。われわれは一層協力しなければならぬ」
 そういって、この烱眼《けいがん》なる記者は、ドレゴと水戸の手をかわるがわる握ってこの困難なる仕事への再発足《さいほっそく》を激励し合った。が、この三人が重要問題としている点は、一般にはさほど重視されていなかった。新聞や放送におけるこの事件の報道の焦点は、やはり、如何なる怪力がゼムリヤ号を高い山頂へ搬《はこ》んだか、ということにあった。それは興味の点からいっても当然であろう。
 この事件が発見された当時は各紙とも、この問題の解決に殆ど無能力に見えた。なにしろ一万数千トンもある巨船が、海抜五千米のヘルナー山頂へ引掛《ひっかか》っていることをどう説明したらいいか、途方にくれたのは当《あた》り前《まえ》であった。その点において、事件発見者のハリ・ドレゴが、“巨船ゼムリヤ号の発狂事件”と題名をつけたことは、寧《むし》ろ彼の頭脳のよさを証明していたものといっていいのだ。そうだ、ゼムリヤ号は発狂でもしなければ、そのような狂態を示し得ないであろう。
 しかし、ドレゴの選んだこの事件の題名も、そばに居合《いあ》わせた水戸宗一の意見によって改訂され“地
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