り教授の説をそのまま信ずる者は割合に少かった。
アンダーソン教授は、その反駁にも一切応うところなく、只一回の発表で、あとは沈黙してしまった。新聞記者は直ちに教授の研究室へ駈付けたが、教授の姿はなく、その行方は知れなかった。研究室の友人の話では、もう三週間も前から教授に会わないそうであるし、研究室も鍵が懸ったままで、一人の助手さえも残っていなかったという。
新鋭潜水艦
ヤクーツク[#、92−上段−9]造船所製の耐圧潜水艦ウラル号が大西洋へ乗出したのは、アンダーソン教授の生理電波説の発表があってから、更に一週間の後のことだった。
このウラル号は、ソ連船員によって運転されていた[#「されていた」は底本では「さられていた」、92−上段−16]。
そしてこの潜水艦には十人の外国人が特別に乗組んでいた。その人たちの顔触れは、ワーナー博士と二人の助手、アンダーソン教授とその三人の助手、それからドレゴ記者、水戸記者、それにエミリーだった。ケノフスキーもその一行に加わっていた。
この顔触れによって、この潜水艦ウラル号が一体何の目的あって大西洋へ乗出したか、その理由が想像できるであろう。
世界に今も存在する少数の歪んだ視力の持主たちは、このウラル号を見て、ふしぎな感を懐くことであろう。これこそ呉越同舟だというかもしれない。
だがそんな見方は、始めから誤っているのだ。今日となっては、もはや地球人類の間に呉越同舟だなんて見方は成立しないのである。いや、厳密にいえば、ずっと前からそんな悲しむべき状態は存在しなかったのである。広大なる宇宙の中に真に渺《びょう》たる存在であるわが地球、その地球に棲む人類たちが、互いに反目したってそこに何の益があろうか。宇宙は広大である。数十億数百億の恒星に付随する惑星の数は真に無数であり、それらに棲息する高等生物の数はこれまた数えることが出来ないほど夥しいものがある。その中に、わが地球人類が最高等だとは、いかなる自惚れ強き者とても考えないであろう。地球上においてはなるほど、人類が最も知能にすぐれてはいるが、この広大なる宇宙には、われら人類よりも数等数十等高級な生物が棲息しているだろうことが容易に想像されるのだ。
そういう他の惑星の高等生物をまだわれわれが一度も見たことがないという理由によって、そういう高等生物が存在しないというものがあった
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