に、彼へチップを、はずんだ。
 彼の掌の上に、またもや彼の持ち物ではないナイフが載った。彼はそのことを改めて思い出した。
「どうしてこんなものがポケットに入っていたんだろう」
 彼はそれを捨てようとして隅っこへ放りかけた。が、ふと気がついて、それをやめると、掌をひらいてそのナイフにじっと見入った。
 彼の顔が紅潮して来た。彼は拳でぽんと卓子の上を叩くと、顔色をかえて立上った。
「……おお、これは水戸のナイフだ」
 そのとき彼の腕をしっかりと抑えた者があった。ドレゴはその方へ振向いた。毛皮の長い外套を着、頭には同じく黒い毛皮の帽子をすっぽり被り、首のところを――いや顔の下半分をマフラーでぐるぐる巻き、茶色の眼鏡をかけた男が立っていた。
「しずかに……。御同席ねがえましょうかな」
「君は誰?――ああ、そうか……」
「しずかに。重大なんだ。極めて重大なんだから……」
 その毛皮の男はドレゴを席に戻すと、自分もその横にしずかに腰を下ろした。ボーイが来たので、ドレゴは同じ酒を注文した、咽喉にひっかかったような声で……。
 ボーイが向こうへ行ってしまうと、ドレゴはじっとしていることに、汗をかいて努力をした。しかし彼の靴は床をハイ・ピッチで叩きつづけている。
「……心配したぞ」
 もうこれ以上|怺《こら》えきれないという風に、ドレゴが相手に囁いた。
「うん」相手は肯いた。
「僕が今自由の身になってこの町にいるということが知られては、非常に拙《まず》いんだ」
「そうか」
「しかし君の力を借りないでは、僕は思うように行動がとれないんだ」
「力は貸そう。で、身体はどうなんだ。一行全部遭難して全滅だと伝えられているが……」
「それは心配するな。少くとも僕自身は大した負傷でもない」
「それを聞いて安心した。このナイフは君へ返しとこう。いつ僕のポケットへ突込んだのか」
「あの汽船の舷梯の下で……」
「あっ、あのときか」
 ドレゴは大きく目をあいて、友の顔をまじまじと見返した。
「頭から顔にかけてぐるぐる包帯を巻いていた怪我人が君だったのか」
「叱《し》ッ」
 ボーイが酒を置いて、卓子の上を拭いていった。
「これから何をしようというんだ、人々の目から隠れて……」
「むずかしい使命だ、ワーナー博士からの切なる懇請によって……」
「ワーナー博士も無事なのか」
「まあねぇ」
「で、何をするって」

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