男は、広い額にたれさがる長髪をかきあげ、冷えたコーヒーをうまそうにゴクリゴクリと飲み干した。
 僕はそれには応えないで、黙って黄いろい壁をみつめていた。
「――お気に召さないんですか。これほどの面白い話を――」
 若い男は、バター・ナイフを強く握って、猫のように身構えた。
 僕はわざと軽く鼻の先で笑った。
「面白くないこともないが、もっと話してくれりゃ素敵に面白いだろうに」
「だって話はこれだけですよ。これが私の知っている全部です」
「嘘をつきたまえ。まだ重大な話が残っている」
「なんですって」
「僕から質問をしようかネ。それはネ、この話の語り手はなぜこうも詳しく秘事を知っているのだろうかということだ。彼はまるでプライベイトの室に、ヒルミ夫人と二人でいたような話っぷりだからネ。一体君は誰なんだ。それを名乗って貰いたいんだよ」
「……」
 こんどは若い男の方が、黙ってしまった。
「ねえ、こういう話はどうだろう。――万吉郎はヒルミ夫人から脱《のが》れたいばっかりに、千太郎時代の昔にかえって猿智慧をひねりだしたんだ。大川ぞいの石垣の下から匍《は》いあがってきた小僧をうまく引張り込んで、これを
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