ということは、夫とかしずく男が、依然として真の万吉郎であるという証明にもなったが、同時にまたヒルミ夫人は自らの神経を刺戟して、その男が巧みにも真の万吉郎そっくりに化け終《おお》せているのではないかと、もう一歩鋭い観察に全身の精魂を使いはたさなければ気がすまなかった。げに無間地獄とは、このような夫人の心境のことをさして云うのであるかもしれない。
 煩悶は日毎夜毎《ひごとよごと》につづいていった。疑惑はまた疑惑を生み混乱の波紋は日を追うて大きく拡がっていった。
 そしてとうとう最後には、もう紙一重でヒルミ夫人の脳が狂うか否かというところまで押しつめられた。
 夫人は、灯もない夕暮の自室に、木乃伊《ミイラ》のように痩《や》せ細った躰《からだ》を石油箱の上に腰うちかけて、いつまでもジッと考えこんでいた。もうここで敗北して発狂するか、それとも思いがけないアイデアを得て辛《から》くも常人地帯に踏みとどまるか。
「あ、――」
 夫人は暗闇のなかに、一声うめいた。
 天来のアイデアが、キラリと夫人の脳裏に閃《ひらめ》いたのであった。
「あ、救われるかもしれない」
 リトマス試験紙が、青から赤に変るよう
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