は隠すことができないであろう。そしてもし夫万吉郎を今日甦らせて置けば、二十年後には四十五歳の老爺と化すであろうから、同じように精力の甚だしい衰弱を来《きた》すことは必然である。おお四十五歳の老爺になった夫! それを想像すると、妾はすっかり憂鬱になってしまう。
 夫はなるべく若々しいのがいい。ことに妾自身の気力が衰える頃になって、隆々《りゅうりゅう》たる夫を持っていることが、どんなにか健康のためにいい薬になるかしれないのだ。妾はそこに気がついた。
 愛する夫万吉郎は、今から二十年間、この冷蔵鞄のなかに凍らせて置こう。
 妾が五十歳になったときに、丁度その半分の年齢にあたる二十五歳の万吉郎を再生させるのだ。
 そして尚それまでに、妾は十分に研究をつんで、男の心をしっかり捕えて放さないと云う医学的手段を考究して置くつもりだ。なにごとも二十年あれば、たっぷりであろう。
 おおわが愛する夫よ。では安らかに、これから二十年を冷蔵鞄のなかに睡れ!

「これで私の話はおしまいなんです。どうです、お気に召しましたか、さっき靄のなかの街頭に御覧になった『ヒルミ夫人の冷蔵鞄』の解説は――」
 そういって若い男は、広い額にたれさがる長髪をかきあげ、冷えたコーヒーをうまそうにゴクリゴクリと飲み干した。
 僕はそれには応えないで、黙って黄いろい壁をみつめていた。
「――お気に召さないんですか。これほどの面白い話を――」
 若い男は、バター・ナイフを強く握って、猫のように身構えた。
 僕はわざと軽く鼻の先で笑った。
「面白くないこともないが、もっと話してくれりゃ素敵に面白いだろうに」
「だって話はこれだけですよ。これが私の知っている全部です」
「嘘をつきたまえ。まだ重大な話が残っている」
「なんですって」
「僕から質問をしようかネ。それはネ、この話の語り手はなぜこうも詳しく秘事を知っているのだろうかということだ。彼はまるでプライベイトの室に、ヒルミ夫人と二人でいたような話っぷりだからネ。一体君は誰なんだ。それを名乗って貰いたいんだよ」
「……」
 こんどは若い男の方が、黙ってしまった。
「ねえ、こういう話はどうだろう。――万吉郎はヒルミ夫人から脱《のが》れたいばっかりに、千太郎時代の昔にかえって猿智慧をひねりだしたんだ。大川ぞいの石垣の下から匍《は》いあがってきた小僧をうまく引張り込んで、これを
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