で、と愍憫を求める哀願。――それにつきましても、こんな所で申し上げますのはいかがでございますが、私の尊敬して止《や》まないオクサマは……
 一體、これはどうなるのだらう。
 縣廳だか裁判所だか知らないが、細君連の社交團の移動だ。十數名の者が一人づつ鄭重な辭令を交換してゐた日には、後《うしろ》に待たされてゐる人間はどうすればいいのだ。
 ばかばかしくなつたから、私はギャラントリなんか抛棄して、前の方へ出ようとすると、いかめしい制服の守衛が手を振つて、もうしばらくお待ちください、と制止した。
 禮裝した色のなま白い少尉が細君らしい女をつれてやつて來て、私の後に立つてゐた。
 婦人連の社交クラブは果しなくつづいた。長官夫人が來たのだから、いいかげんに入場したらよささうなものを、初めに謁見式みたいなものが行はれて、恐らく夫の官等順に、一人一人の實に長い御機嫌奉伺が數限りもないお辭儀を添へて呈出されてゐるかと思ふと、その間にも、二三の讓り合ひの美徳なども見せられ、それがすむと、その讓り合ひに對する長官夫人の認知の言葉やら、それに關する彼女の高貴の思ひ出ばなしやらが持ち出され、多くの下僚夫人たちの感歎のうなづき合ひなどが、いともしとやかに展開されるのであつた。
 私はいらいらしてゐたけれども、それを見て居るのは全然興味なしでもなかつた。以前に飜譯したピエール・ロティの、日本の女を冷嘲的に描寫した一節を思ひ出したりもした。……
 ……さうしてこの大勢の女たちは、私の部屋にはひつて來ると、お互ひ同志のお辭儀で混雜を極める。たとへば、私があなたにお辭儀をする。――あなたが私にお辭儀をする。――また私があなたにお辭儀をする。あなたが、また私にそれを返す。私があなたに、もう一度お辭儀を返す。すると、私は、どうしたつてあなたの名譽にふさはしいだけそれをお返しすることはできない。――そこで私は私の額を疊にすりつける。するとあなたは、あなたの鼻を床板《ゆかいた》にすりつける。彼等は順順に列んで、みんな四つ這ひになる。それは、お互ひに、人より先には出まい、人より先には着席しまい、といつたやうな風である。さうして果しない挨拶が低い聲でささやかれる。顏をば床《ゆか》にすりつけたままで。(『お菊さん』四)……
 それは一八八五年に於ける長崎の場末の無智な女たちであつた。これは一九二六年に於ける奈良縣か
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