突き刺すと、その剣は文字通り鍔もとまで刺さり、瞬間に黒い巨体は横倒れになった。満場湧くが如き喚声の中で、拡声器は国歌の吹奏を始め出した。授賞式が始まるのである。
 闘牛の賞品は一等賞は殺した牛の耳、二等賞は尾、三等賞は脚の一本、特等賞は首をもらうことになっている。その外にそれに相当する金の添えられることはいうまでもない。オルテガは、係りの者が前脚を一本切り放して、それを司会者の前で授けられた。
 第四回は小ベルモンテがマタドルだった。
 第五回はオルテガ。牛もあばれまわったのだが、仕止《しとめ》は三度目にやっと、それも剣の刃を三分の一ほど余して嵌まった。助手がすぐ今一つの剣を持って行った。尖が十字形になっている剣で、第一の剣でうまく行かなかった時はそれで眉間《みけん》を突くと即死する。しかし、それを使わないうちに牛は斃れた。もがいて斃れるのを見るのはよいものではない。
 最後の第六回は小ベルモンテがマタドルだった。彼は第三回の成功以来目に見えて競争心を起し、何か花やかなことをしてやろうとあせってるようであったが、遂に最終回に及んで大事件が出来した。
 牛も回を重ねるに従い次々に猛烈な奴が跳び出した。殊に此の時は初めから極めて兇暴で、アレナのまん中まで駆けて来ると、じっと立ち止まって見まわしていたが、寄りたかるテュロたちの一人一人に突っかかって行くのが頗る獰猛だった。ピカドルに立ち向っては馬を突き倒し、投げ飛ばされたピカドルの方へ駆け出してその腹を突いた。しかし下に防護衣を着込んでいたので、やられたかと思ったが、大したことはなくてすんだ。牛の勢い猛なるを見て見物人はオーレイ! オーレイ! と叫ぶ者が多かった。第一のピカドルは失敗したので、第二のピカドルが他の側から駆けつけて来て槍を刺し込んだ。バンデリエロも六本の銛を立てるのにだいぶ苦心した。
 最後にスエルテ・デ・マタルの場面となり、小ベルモンテが立ち向うと、牛は血だらけになっていても少しも弱りを見せず、砂場を一ぱいに駆けまわって、却って闘牛士《トレロス》たちを翻弄するような状態であった。ベルモンテも派手やかに秘術をつくし、片膝をついて向って来る牛に肩を跳び越さしたり、角をつかんで引きまわすようなことをしたり、もういいかげんに仕止めてもよさそうだと思うのに、いつまでも牛をあしらっていた。そうして大いに余裕を見せて、ねらってる牛を後《うしろ》にして悠々と歩いていると、いきなり牛は駆け出して彼の臀部に角を突っ込み、反ね上げた。あッという間もなくベルモンテの身体は投げ出された。見物人は総立ちになり、驚愕の叫びが一斉に発せられた。テュロたちが駆け寄って、赤い合羽を振って牛を一方へおびき出し、ベルモンテの身体は大急ぎで運び去られた。死んだのだか、傷ついただけだったのか、その時はわからなかった。
 異様な緊張が場内を支配した。
 オルテガが代って現れた。しかし、彼はいきなり刺そうとしないで、赤い旗を振ってからかいにかかった。日本風の武士道の気持から判断すると、戦友の弔い合戦をするようなものだから、すぐ仕止めた方がよさそうに思えるが、彼はいつまでも自分の技術をひけらかして牛をあしらってるので、殊にベルモンテびいきのファンは虫が収らないと見え、しきりに半畳を入れる者がある。オーチョー・パララ・レンチャ……と方々から叫び声が投げられる。遂に突き刺したが、剣は半分きり刺さらなかった。二度目の十字剣でやっと仕込めた[#「仕込めた」はママ]。
 喧喧囂囂のうちに場は閉じられた。まさに六時が振り上げられた所だった。
 翌日の新聞で、小ベルモンテの傷は背後だったのでそれほどのことはなく、第二日目は木曜日に開場されると報告された。

    五

 闘牛を見ている間、私の同情はしばしば牛の方へ行き、大勢が寄ってたかって一匹の動物をいじめ殺す残酷さが気に食わなかった。しかし、闘牛士《トレロス》たちの技術がすばらしくうまいので、ややもすると技術そのものを讃歎するような気持もあった。これは甚だ矛盾した心境ではあるが、正直にいうと、そんな気持であった。
 それが次第に回数が進むに随って、殺されるのを見ることに慣れ、オルテガが鮮かな技法で仕止めた時などは、たしかにオルテガ讃美者の一人になっていた。長い間闘牛を見慣れた人間たちが血を見ても平気でいる心境がよくわかるように思われた。
 一体、エスパーニャ人の脈搏は今日でもモール人の血で鼓動している。力強さと敏捷さと美しさにあこがれるというのはその証拠である。それは国民生活のあらゆる方面に見られるが、最もよくまとまって現れてるのは闘牛に於いてである。イバーニェスの『血と砂』に拠ると、闘牛が今日の形式の演技に完成されたのは十八世紀の中葉だとあるが、歴史的に起源を求めれば十一世
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