は矢野公使の案内で)見物し、再び船に戻つて、パリの大使館から出張して來た事務官T氏、觀光局のY氏、マルセーユの副領事X氏などと一所になり、夕食後歡談に夜を更かし、十一時頃ボルドーの町へ歸つて來る途中、星月夜の街上に夥しい歩兵部隊の出征する所に出逢つた。停車場の方へ道歩《みちあし》で行進してゐたが、みんな默默として、靴音だけが高く響いた。
 私たちが鹿島丸の船客となつたのはその翌日(九月十六日)であつた。前の日、船を訪問した時、十六日の午前中に船客は全部乘り込んでもらひたいといはれた。順調に蓮んだら十七日には出帆したいといふことだつた。しかし、船ではまだ行先を發表してなかつた。それでも、いろんな根據から推定して、多分リヴァプールに寄港するのだらうと考へられた。けれども、それから先ははつきりしなかつた。恐らくパナマを通つて太平洋に出るのかとも思はれたが、その途中ニュー・ヨークに寄るかどうかはわからなかつた。船長自身にもまだわからなかつたらしい。
 鹿島丸には珍らしい航海者が乘つてゐた。此の船は大角大將・寺内大將などを乘せてナポリまで來ると、戰爭が始まり、それからマルセーユまで來ると、マルセーユで日本に歸るつもりで乘つた人が十二名、その人たちはボルドーへ運ばれ、これからイギリスへ運ばれて行くのである。その中には私たちが以前パリで知つてゐて、もう日本へ歸りついてるのかと思つてゐたF君も交つてゐた。
 更に氣の毒なのは、七月に日本を出て以來、ヨーロッパが戰亂の地となつたので上陸することができないで、此のまままた日本へ歸るといふ人が七名も乘つてゐた。
 その他はすべてボルドーから乘つた人たちであるが、私たちの外二三名を除けば全部フランスに滯在してゐた人たちなので、リヴァプールなどには寄らないで此のままスエズの方へなり、パナマの方へなり行つてもらひたいと、頻りにさういつてゐた。イギリスに滯留してる日本人の多くはイギリスに大きな愛着を感じてるやうであつたが、フランスに滯留してる日本人はまたフランス一點張で、イギリスには少しも親しみを感じてないやうだつた。それを私は一つの興味ある現象として考へて見た。
 さて、船には乘り込んだものの、いつ出帆するかわからないといふことだつた。出帆命令が來ないからである。大使館は何をしてるのか?マルセーユの領事館はどうしたのか?ロンドンのN・Y・K支店
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