廣場に車を乘り捨て、片隅のバーに入つた。
 親爺はI君と顏見知りの間と見えて、大きな手をさしだしていかにもなつかしさうに久濶の挨拶をした。I君はシャンパンとたにし[#「たにし」に傍点]のやうな貝と小えびの茄でたのを注文して、パリへ電話をかけてくれないかと頼んだ。長距離は警察の許可がいることになつたのだが、といつたが、それでもすぐかけてくれた。
 ぢきにパリの大使館に通じた。日曜日で、もしやと思つた通り、私の知つてる人はゐないで、ほかの人が電話口に出た。
 ――そちらの形勢はいかがです? 急に戰爭の始まる樣子はありませんか? 月末までにはそちらへ歸るつもりですが、實はもう少しこちらにゐたいことがあるので、切迫してるとすれば、どの程度に切迫してるか知りたいのです。
 返事は、はつきりしてるやうで、はつきりしてなかつた。情勢は刻刻に變化してゐるから、今ではそれほど切迫してるとは思へないが、いつ切迫したことにならぬともわからない、といふのであつた。
 それからパリの市中の樣子を聞いて見ると、パリは今のところ冷靜で平常と變つたことはないといふ。ホテルのことを聞いて見ると、ホテルは閉ぢたりした所があるとは聞かないといふ。パリからロンドンへ歸ることについて聞いて見ると、英國へ入るには査證《ヴイゼエ》がいることになつたが、パリではそれを取るのが厄介だから、エスパーニャで取つて來た方がよいと思ふ、といふことだつた。
 それから、大使館では郵船靖國丸を徴發して、フランス在留の邦人を乘せる用意をしてゐるが、靖國丸はドイツ在留の邦人を乘せて、今ノールウェイの港に避難してるといふことだつた。
 靖國丸は私たちを日本からポート・サイドまで運んでくれた船である。それから何度目の航海だらうかと考へて見た。ドイツ在留の邦人を乘せて避難したといへば、スコットランド行を約束した谷口君はもうそれに乘つてるのかも知れないと思つた。
 通話はI君も傍で聞いてゐた。靖國丸を呼ぶといつても、ノールウェイに避難してるのだとすると、もし戰爭が始まつたら、さうさう簡單にフランスには(アーヴルかどこか知らないが)寄りつけまい。月末までエスパーニャで遊んでゐても大丈夫だらう。――私たちはシャンパンを飮みながらさういつた結論を引き出した。
 しかし、戰爭が始まるとロンドンとパリには一番に爆彈の雨が降るだらうと一般に信じられて
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