の西南端の村)と川をさし挾んで、川が國境となつてゐる。つまり、橋の中央が國境となつてゐる。それで、橋の手前にはエスパーニャの兵士と税關吏が、橋の向側にはフランスのそれ等の者が、どちらも鐵道の踏切の横木のやうな物を下して張番をしてゐる。この國境はやかましいのださうで、特にエスパーニャ側の方がやかましいといはれて居る。二三臺の車が止められて調べられてゐた。しかし私たちの車は、入る時と同樣、旅劵を見せただけですぐ通れた。橋を渡ると、フランス側のたもとでは、子供が四五人遊んでゐた。
アンダイエはピエール・ロティの晩年に住んでゐた村で、沿道から少し入つて行くと、いまだにその家が保存されてあるから、ついでがあつたら訪問してはどうだと、いつぞや柳澤健氏に勸められたことがあつたが、その日はパリの聲を早く聞きたいので歸り道にでも寄つて見ようと思ひ、そのままサン・ヂャン・ド・リュズの方へ車を駈けさせた。
サン・セバスティアンからサン・ヂャン・ド・リュズまでは僅かに三〇キロに過ぎない。サン・セバスティアンそのものがエスパーニャとしてはエスパーニャらしくない、謂はばフランスらしい感じのする土地であるが、それでもイルンの川を通り越すと、同じバスクの地域でありながら、國境一つでかうも變るものかと思はれるほど、急に沿道の形貌が一變したやうな印象を與へられた。一つは建物の樣式が違ふのと、今一つはそこいらを歩いてる人間の風俗が異なつてるためだらう。フランスの方が、百姓家にしても、百姓その者にしても、何となく明るくすつきりしたところがある。それに田舍だけにのんびりしてゐて、今にも戰爭が始まるかも知れない國だとは思へなかつた。女たちが鉢物の花を竝べた窓の下に椅子を持ち出して編物をしてゐたり、牧場の端の池の縁で一人の老人が釣を垂れてゐたり、その先の木蔭には三四頭の牛が尻を寄せ集めて思ひ思ひの方向の雲を眺めてゐたり、どこを見ても靜かで、あわただしいものとては一つも感じられなかつた。
サン・ヂャン・ド・リュズの町に入つても別に變つた空氣は感じられなかつた。女たちが午後の買物でもするのだらうか、ぞろぞろ町なかを歩いてゐた。此處は最近のエスパーニャの内亂の間ぢゆう各國の大公使館が避難してゐた所ださうで、小ぎれいな靜かな町である。私たちは昔ルイ十四世の住んでゐたことのあるといふ家(今はカフェ・マドリィ)の前の
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