じような形の岩壁が何十と重なり合って岩角を畳み合せてるのが、岩肌は黒に黄色味を見せ、角々に雪を持って、壮観限りないものだった。シャイデックから乗って来た駅員のような服装をした男に名前を聞いたら、メンリッヒェンという有名な山だといった。その下の斜面は緑の草原で、人家がぽつりぽつり散らかっていた。
 十七時五十分、予定通りインターラーケンの停車場に着くと、ホテルの親爺が約束のスーツケイスを持って来ていた。弥生子の借りて行った傘を返し、銀貨をつかませて親爺と別れ、ジュネーヴ行の列車に乗り換えた。
 テューンの湖畔を走ってる頃には空がきれいに霽れ上り、皮肉にも今まで雲に隠れていた乙女《ユンクフラウ》も坊主《メンヒ》も顔を出した。アイガーまでが坊主《メンヒ》の肩から顔を出した。なんだかばかにされたような気がしたが、乙女《ユンクフラウ》には悪い坊主《メンヒ》と得体の知れないアイガーなんて奴が付いてるからだろう。
 その夜ジュネーヴの停車場で藤田君夫妻に迎えられ、藤田君の家に泊り、その話をすると、フランス婦人なるマダム藤田はおもしろがって笑った。

    五

 次の日もその次の日もジュネーヴにいたけれども、見える筈のモン・ブランは遂に見えなかった。モン・ブラン橋の上に立ってレマン湖を見渡すと、対岸の右手の小山の上にバイロンの住まっていたという塔のような家があり、その左手にモン・ブランが見える筈だけれども、ジュネーヴに住まっていても見ることは少いとマダム藤田は言っていた。
 しかし私たちはそれからイタリアに二度目の旅行をして、まずミラノに出たので、途中で「ペニンのアルプス」を横断した。その山系中にはモン・ブラン(四八一〇米)を初め、モンテ・ローザ(四六三八米)、マッターホルン(四五〇九米)、グラン・コンバン(四三一七米)などの俊峰が聳立するので、楽しんでいたが、そのうちの一つ二つを山の峡と峡の間から瞥見しただけにとどまり、多くは縁がなかった。
「海アルプス」と呼ばれる一群はジェノアからフランスに入る時、その裾野を通ったに過ぎなかった。
[#地から1字上げ](昭和十四年)



底本:「世界紀行文学全集 第六巻 イタリア、スイス編」修道社
   1959(昭和34)年10月20日発行
底本の親本:「西洋見學」日本評論社
   1941(昭和16)年9月10日発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月9日作成
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