ろうかと思ったからである。
 その日は午前おそくケルンを立って、殆んど半日間全部、ラインの渓谷を汽車に揺られて溯り、バーゼルで電車に乗り換えてベルンに着いたのだが、途中アルプスを瞥見する機会には恵まれず、アルプスのことは全く意識の外に置き忘れてあった時、いきなり此の壮観に襲われたのだから、手もなく圧倒されてしまったのである。
 私はスウィスに行ったら、ユンクフラウとモン・ブランとマッターホルンとモンテ・ローザはぜひ見たいと期待していた。それにしても、ユンクフラウの山容は写真や画では度々見ていたけれども、こんなに大勢の名士淑女が袖を連ねていようとは思わなかったし、ユンクフラウにしても、彼女自身の形は知ってるつもりだったが、近接した山々との関係に於いて知ってなかったので、実物を目の前に置きながら、教わるまでは見わけがつかなかったのである。田舎者が貴顕の前に出た時のように眩惑してしまったのだろう。

    二

 次の日(五月七日)十六時十六分、私たちはベルンを立ってインターラーケンへ行った。ベルンの標高は約六〇〇米で、インターラーケンも大体似たもので、少し高いが一〇〇呎と差はない。けれど
前へ 次へ
全23ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
野上 豊一郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング