たけれども、見える筈のモン・ブランは遂に見えなかった。モン・ブラン橋の上に立ってレマン湖を見渡すと、対岸の右手の小山の上にバイロンの住まっていたという塔のような家があり、その左手にモン・ブランが見える筈だけれども、ジュネーヴに住まっていても見ることは少いとマダム藤田は言っていた。
しかし私たちはそれからイタリアに二度目の旅行をして、まずミラノに出たので、途中で「ペニンのアルプス」を横断した。その山系中にはモン・ブラン(四八一〇米)を初め、モンテ・ローザ(四六三八米)、マッターホルン(四五〇九米)、グラン・コンバン(四三一七米)などの俊峰が聳立するので、楽しんでいたが、そのうちの一つ二つを山の峡と峡の間から瞥見しただけにとどまり、多くは縁がなかった。
「海アルプス」と呼ばれる一群はジェノアからフランスに入る時、その裾野を通ったに過ぎなかった。
[#地から1字上げ](昭和十四年)
底本:「世界紀行文学全集 第六巻 イタリア、スイス編」修道社
1959(昭和34)年10月20日発行
底本の親本:「西洋見學」日本評論社
1941(昭和16)年9月10日発行
入力:門田裕志
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