今日だけに、大いに気に入った。
 食事前に村を散歩して見ると、ホテルはどこもまだ閑散で(季節は六月以後)、名物のククー時計や熊の木彫や絵端書などを列べた店もがらんとしていた。ユンクフラウやメンヒは村をはずれて少し小高い所まで行かないとよく見えなかった。

    三

 あけの朝は遠足の日の小学生のように早く目をさましたが、一番に気づかわれたのは天気だった。ユンクフラウに登るとはいっても電車が運んでくれるのだから、問題は足ではなくすべて天候に係っていた。一万一千四百六尺のユンクフラウヨッホまで登っても、霽れてくれなければ登った効果は失われてしまう。ところが、あいにく、空はどんよりして今にも何か落ちて来そうだった。ホテルの親爺に相談して見ると、山の上のことは何ともいえないが、吹雪かも知れませんよ、ということだった。気象予報は雪となっていた。吹雪を見に行っても仕方がないが、此処まで来て登らないで引き返すのは心残りだ。二三日滞在のつもりで来ればよかったのだけれども、今日は山から下りるとその足で汽車に乗り、夜なかにジュネーヴまで伸す予定で、ジュネーヴでは同郷の藤田君が停車場で待ってくれてる筈だ。今さら変更することもできず、一日延ばしたところで、明日の天気が保証されるわけでもないから、文字通り運を天にまかせて登って見ようということにきめた。
 それにつけても一つ気がかりなことは、他の荷物はベルンで知り合いになった染矢君(藤田君の友人)の厚意で先にジュネーヴまで届けてもらったが、スーツケイスを一つインターラーケンに持って来てあるのだ。私たちの登山電車がインターラーケンに戻って来るのは夕方の十七時五十分で、ジュネーヴ行の列車が出るのは十八時六分で、その間十六分きりないから、一時預けにできればそれでもよいのだが、それよりも時刻を見計らって御苦労だがこれを停車場まで持って来てくれないか、と親爺に頼むと、こころよく引き受けてくれた。弥生子は傘を借りた。
 登山鉄道は、インターラーケンからシャイデックまでの二十四キロはベルン高地鉄道、シャイデックからユンクフラウヨッホまでの約十キロはユンクフラウ鉄道、と乗り分けることになる。後者は季節には一日八回往復するけれども、今は一日一回きり往復しない。(十一月から三月までの間は交通が全然杜絶する。)
 インターラーケンからラウターブルンネンまで十二
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