三八九五米)、シュヴァルメルン(二七八五米)、グロスホルン(三七六五米)、ずっと右手に孤立してるのがブライトホルン(三七七九米)、次にグスパルテンホルン(三四四二米)、ツィンゲルホルン(三五七九米)、つづいてレッチュターレル・ブライトホルン(三七八八米)、別に離れてブリュームリス・アルプスの山彙を成すものとして、モルゲンホルン(三六二九米)、ヴァイセフラウ(三六六〇米)、ヴィルデ・フラウ(三二五九米)、ブリュームリスアルプシュトック(三二一九米)、ブリュームリスアルプホルン(三六七一米)があり、フリュンデンホルン(三三六七米)がその端にくっ付いて、その手前にピラミッドのようなニーセン(二三六六米)が、これは近いだけに大きく見え、ずっと離れてドルデンホルン(三六五〇米)とベットフリュー(二三九七米)が立ち、まだうねうねと幾らもつづいている。
その他、雪線(アルプスでは二六〇〇米)以下の峰角は大部分省略したが、此処に挙げた分は「ベルンのアルプス」では皆名士たちだから、繁を厭わないで紹介して置くのは、綺羅星を列ねたその威容の前にいかに哀れな旅行者が圧倒されたかを想像してもらうのに都合がよかろうかと思ったからである。
その日は午前おそくケルンを立って、殆んど半日間全部、ラインの渓谷を汽車に揺られて溯り、バーゼルで電車に乗り換えてベルンに着いたのだが、途中アルプスを瞥見する機会には恵まれず、アルプスのことは全く意識の外に置き忘れてあった時、いきなり此の壮観に襲われたのだから、手もなく圧倒されてしまったのである。
私はスウィスに行ったら、ユンクフラウとモン・ブランとマッターホルンとモンテ・ローザはぜひ見たいと期待していた。それにしても、ユンクフラウの山容は写真や画では度々見ていたけれども、こんなに大勢の名士淑女が袖を連ねていようとは思わなかったし、ユンクフラウにしても、彼女自身の形は知ってるつもりだったが、近接した山々との関係に於いて知ってなかったので、実物を目の前に置きながら、教わるまでは見わけがつかなかったのである。田舎者が貴顕の前に出た時のように眩惑してしまったのだろう。
二
次の日(五月七日)十六時十六分、私たちはベルンを立ってインターラーケンへ行った。ベルンの標高は約六〇〇米で、インターラーケンも大体似たもので、少し高いが一〇〇呎と差はない。けれど
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