フラウ、さよなら!
アイスメーアのトンネルの中でまた乗り換える。トンネルの中が停車場になって、岩壁に窓が開けてあり、其処から外側が眺められるので、みんなして行って見る。外は雪ばかりだった。窓框の内側にも雪が二三寸積もっている。その雪の中を小さい蚊の幼虫みたいなものが動いてるのをペル君が摘まみ上げて、何だろう何だろうと不思議がってると、肥ったドイツ人がグレッチャーフロー(氷河の蚤)という名前を教えた。
アイガーグレッチャーの付近では、今朝よりも目に見えて雪が深くなっていた。空には太陽の底光りが目に強く感じられながら、まだちらちら降っている。
シャイデックだったか、行きには気がつかなかったが、電車軌道より低い所にある郵便局が雪に埋まっていた。その屋根の上に北極犬が三匹、少し低い所にも二匹うずくまって、電車の下って行くのを見ていた。耳の立った大きな灰色の犬だった。雪の季節には郵便の橇を曳かせるのだそうだ。アルプスは夏の季節になっても、交通は電車と徒歩だけで、自動車のドライヴということはないという話が出た。一つは地勢にも因るのだが、アルプスの人間は自動車の騒がしい音と臭いガソリンの匂いがきらいだから、そういった設備を許さないのだという解釈だった。それも一見識だろうが、これだけの電車があれば、自動車のうるさいドラィヴィングなどはない方がよいにきまっている。
此の登山電車は最近のものかと思ったら、一八九八年(明治三十一年)に起工して一九一二年(同四十五年)に竣成している。設計者は、テューリヒのアドルフ・ガイヤーツェラーという機械技師で、全長九キロ二に対して総工費約一千万フランを要し、牽引方式は触輪式で、動力はラウターブルンネンとブルクラウエネン付近で水力電気を起し、其処から七千ヴォルトの電圧を変圧所に送り、それを六百ヴォルトに下降さして電車を動かしてるので、機関車は三百馬力だということである。私は先年上河内に行った時、せめてあの辺まででも登山電車を敷いたらどうかと思ったが、そうしたら実際あのこわれかけたようなガタバスで揺られて行くよりどのくらい愉快だか知れないのだ。
帰りの電車では、疲れたせいか、いやに睡かったが、それでも行きに雲が懸かって見られなかった景色が展開するので、眠るわけにもいかなかった。ヴェンゲンに近づくともう雪は止んでいた。右側に見上げるような高さから同
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