ミッド、スフィンクス、オベリスク等のすばらしさに至っては、今更いうまでもなく、到底中世のイズラム文化の造り出した記念物などの及ぶところではなく、強いてその対比を求めれば、わずかにただ古代ギリシアの芸術的遺物を挙げ得るのみである。
 その古代エジプト王朝時代の遺物がメムフィスの地に殆んど全く見られなくなってるのは返す返すも惜しむべきである。最古の「白壁」の王城とか、初期のプタ※[#小書き片仮名ハ、1−6−83]殿堂とか、そういったものはもとより保存を望むべくもないが、ルクソル付近の実例からいっても、第十九王朝のラメセス二世の遺物ぐらいは、度々の兵火さえなかったら、今も見られる筈であったと思う。ラメセス二世はアジア攻略の便利のためにテバイから三角州《デルタ》に都を移した。それは今のタニス付近といわれるが、メムフィスにも大きな殿堂が建てられた。その殿堂の前に立っていたと推定されるラメセス自身の花崗岩の巨像が、メムフィスの棕櫚の木の茂みの中に仰向けに倒れている。頭から王冠が折れ飛んでるのもあわれであれば、穢ない子供たちがその上に攀じ登って遊んでるのもあわれである。
 メムフィスにはラメセス二世
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