たが、メムフィスは技術の神プタ※[#小書き片仮名ハ、1−6−83]礼拝の土地で、多くの殿堂・宮殿の中でもプタ※[#小書き片仮名ハ、1−6−83]の殿堂がすぐれて見事だったといわれる。しかし今は何物も遺ってない。棕櫚の木の繁茂の間からラメセス二世の二つの巨像と手頃なスフィンクスが一つ発掘されただけである。メムフィス創始の年代は半ば伝説的で正確なことはわからないけれども、メネスのエジプト統一が(ブレステッドに従って)紀元前三四〇〇年頃だったとすれば、メムフィスは今から五千三百年以前に開けた都だということになる。其処で繁栄は千年以上つづき、中期王朝時代に上流のテバイの新都が始まるまで首都だった。
テバイが首都になると共に、三角州《デルタ》の政治的勢力は衰微し、長い間メムフィスにあった活動力は次第に河を越して対岸に移り、北へ北へと動いて、一つの新しい活発な商業都市を作り出した。バビロンと呼ばれたのがそれであった。バビロンも長くつづき、降ってローマ帝国時代が繁栄の絶頂で、トラヤヌス帝は其処に城砦を築き防備を固めた。その頃は古代エジプトの王統はすでに絶え、ギリシア統治時代も過ぎ去り、ローマの支配
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