なつたり、その中で早稻田の片上君が甲府の或る教育會の夏期講習で文藝と教育の問題に關して氣※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1−87−64]をあげたといふ記事を讀んだり、そんなことをして時間をつぶしてゐるうちにおひるになつたので、鮎と鯉と卵で晝飯を食つて、そこいらをぶらついて、さんざ停車場で退屈した末に、やつと午後零時三十何分かの下りが着いた。槇村君と虚山君が小さい寫眞機を手に下げて大變な意氣込で下りて來た。吉田口までは馬車で行く豫定であつたが、暑い日に照りつけられてガタガタ四時間半も搖られて行くのは閉口するといふので、自動車で出かけることになつた。吉田口まで十三圓、船津まで十五圓といふ賃金表が出てゐる。船津まで乘つて、都合に依つたら今日の内に西湖《にしのうみ》か精進《しやうじ》までのさうといふ説も出たが、草鞋の手前もあるので(青楓君だけは靴)とにかく吉田から先は歩いて見ようといふことになつた。
 十分ほど前に出た數臺の鐵道馬車をば大月の町はづれで追ひ越し、今朝九時三十分の汽車でついた人たちを乘せた馬車をば谷村《やむら》と吉田の中間で追ひ越して、一時間と少しで吉田の町に入つた。銅の大鳥居
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