脇能であるから、緩さにもそれ相応の程度のあることはいふまでもない。)併し、その次の中入後のワキ・ワキヅレの待謡《まちうたひ》から、後ジテの出端《では》の登場・神舞《かみまひ》・切《きり》のロンギまでは、全曲の急の部分であるから、これはテンポを早めて颯爽たる所を見せねばならぬ。
此の序・破・急の原則はすべての能に皆適用されるべきものであるが、曲に依つて必ずしも一一の能が悉く五段(序一段・破三段・急一段)に区分されるとは限らず、中には四段に区分されるのが妥当の物もあり、或ひは六段に区分されるべき物もあるけれども、概括的に見て序・破・急の原則に当て嵌らないものとてはないのである。
その原則はまた一番の能の中の一部分にも適用される。例へば「高砂」の急の部分、即ち中入後の部分だけについて見ても、初めのワキ・ワキヅレの待謡は序の部分、次の後ジテの出端の登場から神舞までは破の部分、最後の切は急の部分である。
更にその最後の切だけについて見ても、その中にもまた序・破・急があり、更にその中のどの一部分について見ても、そこにもまた序・破・急がある。といつたやうに、全体的にも部分的にも、序・破・急の原則は緊密に表現を支配してゐる。
更に幾番かの能を連結して一つの番組を作成する場合にも、その演出を支配するものは序・破・急の原則である。例へば五番の能をつなぎ合せて上演する場合ならば、初番の脇能は序の能であり、二番目修羅物・三番目鬘物・四番目現在物は破の能であり、五番目鬼物は急の能である。さうして破の能三番の中心たる鬘物は、同時に番組全体の中心でもあるから、最も肝要の能であり、表現も最も慎重に行はれねばならぬ。また三番立の演能の場合ならば、その編成の方法は幾通りもあり得るが、例へば初番に修羅物を置けばそれが当日の序の能であり、次に狂女物を据ゑればそれが破の能であり、最後に早舞物を持つて来ればそれが急の能である。修羅物は五番立の演出の時は破の初めの能であつても、初番に置かれる時は序の能の位で演じられなければならず、また狂女物は本来(五番立の標準でいへば)破の末の能であつて、急の能に接近した調子を持つてゐるべきであるが、それが三番立の演出の二番目に据ゑられた時は、番組の中心となるのだから、破の能の位で演じられなければならぬ。
かくの如く、一つ一つの能は単独にそれ自身の調子の位は持つけれども、演出の位置の変更に依つてその調子の位合に変動が生じるといふのは、どこまでも序・破・急の原則が演出を一つの完全な表現として仕立て上げねばならぬからである。
序・破・急の原則は、歴史的には、もと舞楽の表現の原理として伝へられたものであつたが、それを巧みに能の表現の原理として取り入れたのは主として世阿弥の功績である。しかしその名称こそは特殊であるが、すべての芸術的表現に於いて、意識的にか無意識的にか、苟くも此の法則に支配されないものはないといつてよい。ただそれを逸早く自覚して表現の基本原理として適用した所に、能の演出の様式の確立が助けられたといふ強みがあつた。
能の演出は割合に早く様式化されてしまつたけれども、能役者は、少くとも彼が芸術家である限りは、その様式化された技術の束縛の範囲内だけに跼蹐してゐることは忍べなかつた。彼は絶えず自由を求め、自己を表現しようと努めた。その努力が甚だ末梢的な技術の上にのみ止まるものもあつたけれども、またしばしば技術を突き抜けて、より多く精神的な芸術の根本表現を揺り動かさうとするものもあつた。能の技術は、昔から名人・上手といはれた多くの役者たちの発明の堆積であるから、その伝統を習得することは自己の表現の基礎を形作ることに役立つのはいふまでもないが、そこで止まつてしまつては徒らに先人の真似事をするのみであつて、彼自身の芸術ではない。真の芸術家は先人の伝統を踏まへてその上に一歩を踏み出さねば安んじられるものではない。ただ未熟な者が先人の技術の堆積の上にも攀ぢ登れないで、ほしいままに自己を発揮しようとすると甚だ拙劣醜悪なものを見せることになるので、それは慎まねばならぬとされてはあるが、すでに先人の伝統を体得した以上は、そこから彼自身の芸術が始まるべきだといふことを忘れてはならない。それ故に、創意に富む芸術家は、先人未踏の領域に分け入らうとする野心を持つ。能役者にも古来しばしばさういつた冒険者があつて、謂はゆる「一工夫《ひとくふう》」を試みる者が少くなかつた。いたづらに旧弊を固執しようとする者の目には異端視されるであらうが、能を自己の芸術表現の手段として考へる者に取つては止むに止まれぬ衝動の発揮であつた。われわれは、さういつた芸術的冒険者の努力を買つてやるべきである。
一例を示せば、能の演出に小書《こがき》といふ様式がある。それは能の特殊演出を意味するもので、古来からの伝統を破つて別の形式で演出を変更しようとしたものである。中には怪我の功名ともいはうか、一場の失策が意外にも効果的であつたので、それが一種の小書として遺つたものもあるけれども、多くは芸術的冒険者が苦心惨澹して工夫し出した伝統破壊の記録である。
小書といふのは能の曲目の左側に特殊演出の様式の名称を小さく書き記すからの呼びならはしで、それが諸流に夥しく堆積してゐる。例へば「高砂」の特殊演出としては、「流八頭《ながしやつがしら》」とか「八段之舞《はちだんのまひ》」とか「真之型《しんのかた》」とか「序破急之伝《じよはきふのでん》」とか「大極之伝《たいきよくのでん》」とか「真之掛留《しんのかかりとめ》」とか「作物出《つくりものだし》」とか「祝言之式《しうげんのしき》」とか「祝言之舞《しうげんのまひ》」とか、さういつた小書がある。もともと、一つの小書は或る一流に限られたものであつただらうが、次第に他流でもそれを真似るやうになり、今日ではどの流儀の創意に成つたのかもわからなくなつたほどに共通してゐるものも少くない。
小書が附いて特殊演出となると、さまざまの変化が生じる。或ひは役者に移動が生じたり(例へば「老松《おいまつ》」に「紅梅殿《こうばいどの》」といふ小書が附くと常は登場しない天女のツレが登場するとか、「絵馬《ゑま》」に「女体《によたい》」といふ小書が附くと、常は力神をシテとする流儀がそれをツレに廻はして、女神をシテに立てるとか)、或ひは舞が変つたり(例へば「老松」の「紅梅殿」でいふならば、真《しん》ノ序《じよ》ノ舞《まひ》は常はシテが舞ふのであるがそれをツレの天女に譲り、シテはイロヘ掛《がかり》の短い舞をまふだけになつたり、また「絵馬」の「女体」では、神舞を急の位でシテの女神が舞ひ、神楽《かぐら》をツレの天女が舞ひ、急《きふ》ノ舞《まひ》をツレの力神が舞ふことになつたり)、或ひはそれに従つて囃子がちがつて来たり、或ひは役者の扮装が変つたり、或ひは常は出さない作物を出したり、或ひは詞章が省略されたり、別の詞章を挿入したり、順序をちがへたり、更に或ひは演出の強調の要点が変つたりもする。これは五百年も六百年もの間、いつも同じ物を同じ行き方で演出するのに倦きて新奇を求めようとする心も手伝つてであらうが、それには役者の創意がなければ企て得ない仕事であつた。その創意には原作を訂正しようとする意向も含まれてゐた。少くとも原作をより[#「より」に傍点]効果的に仕活かさうとする意向が働いてゐたことは認められる。さういつた意向の働いてゐた間は、能は新らしく生きようとする努力を持つてゐたのである。しかし近来はさういつた意向さへあまり見られなくなつた。能界の一部には固陋な考へ方が行はれてゐて、先人の型を一歩も出ないことが最上の演出法であるが如く思ひ込んでゐる者がある。技芸習得の道程にある者に対しては、それは一つの良い教訓に相違ないが、それを全般に押し広めることは不聡明である。尤も彼等が自己の無能を自覚して自ら戒めるのであるならばまた何をか言はんやである。
問題はその創意の演出に現はれる表現の如何である。それに依つて、その役者が立派な芸術家であるか、或ひは、単なる一箇の芸人に過ぎないかが決定される。今日われわれは多くの芸人を見るけれども、果して真の芸術家の幾人存在するかを知らない。
底本:「日本の名随筆87 能」作品社
1990(平成2)年1月25日第1刷発行
1999(平成11)年2月25日第8刷発行
底本の親本:「能の話」(特装版)岩波書店
1982(昭和57)年3月発行
入力:門田裕志
校正:小林繁雄
2006年9月19日作成
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