つた。その創意には原作を訂正しようとする意向も含まれてゐた。少くとも原作をより[#「より」に傍点]効果的に仕活かさうとする意向が働いてゐたことは認められる。さういつた意向の働いてゐた間は、能は新らしく生きようとする努力を持つてゐたのである。しかし近来はさういつた意向さへあまり見られなくなつた。能界の一部には固陋な考へ方が行はれてゐて、先人の型を一歩も出ないことが最上の演出法であるが如く思ひ込んでゐる者がある。技芸習得の道程にある者に対しては、それは一つの良い教訓に相違ないが、それを全般に押し広めることは不聡明である。尤も彼等が自己の無能を自覚して自ら戒めるのであるならばまた何をか言はんやである。
 問題はその創意の演出に現はれる表現の如何である。それに依つて、その役者が立派な芸術家であるか、或ひは、単なる一箇の芸人に過ぎないかが決定される。今日われわれは多くの芸人を見るけれども、果して真の芸術家の幾人存在するかを知らない。



底本:「日本の名随筆87 能」作品社
   1990(平成2)年1月25日第1刷発行
   1999(平成11)年2月25日第8刷発行
底本の親本:「能の話」
前へ 次へ
全18ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
野上 豊一郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング