堆積であるから、その伝統を習得することは自己の表現の基礎を形作ることに役立つのはいふまでもないが、そこで止まつてしまつては徒らに先人の真似事をするのみであつて、彼自身の芸術ではない。真の芸術家は先人の伝統を踏まへてその上に一歩を踏み出さねば安んじられるものではない。ただ未熟な者が先人の技術の堆積の上にも攀ぢ登れないで、ほしいままに自己を発揮しようとすると甚だ拙劣醜悪なものを見せることになるので、それは慎まねばならぬとされてはあるが、すでに先人の伝統を体得した以上は、そこから彼自身の芸術が始まるべきだといふことを忘れてはならない。それ故に、創意に富む芸術家は、先人未踏の領域に分け入らうとする野心を持つ。能役者にも古来しばしばさういつた冒険者があつて、謂はゆる「一工夫《ひとくふう》」を試みる者が少くなかつた。いたづらに旧弊を固執しようとする者の目には異端視されるであらうが、能を自己の芸術表現の手段として考へる者に取つては止むに止まれぬ衝動の発揮であつた。われわれは、さういつた芸術的冒険者の努力を買つてやるべきである。
一例を示せば、能の演出に小書《こがき》といふ様式がある。それは能の特殊
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