も、演出の位置の変更に依つてその調子の位合に変動が生じるといふのは、どこまでも序・破・急の原則が演出を一つの完全な表現として仕立て上げねばならぬからである。
 序・破・急の原則は、歴史的には、もと舞楽の表現の原理として伝へられたものであつたが、それを巧みに能の表現の原理として取り入れたのは主として世阿弥の功績である。しかしその名称こそは特殊であるが、すべての芸術的表現に於いて、意識的にか無意識的にか、苟くも此の法則に支配されないものはないといつてよい。ただそれを逸早く自覚して表現の基本原理として適用した所に、能の演出の様式の確立が助けられたといふ強みがあつた。
 能の演出は割合に早く様式化されてしまつたけれども、能役者は、少くとも彼が芸術家である限りは、その様式化された技術の束縛の範囲内だけに跼蹐してゐることは忍べなかつた。彼は絶えず自由を求め、自己を表現しようと努めた。その努力が甚だ末梢的な技術の上にのみ止まるものもあつたけれども、またしばしば技術を突き抜けて、より多く精神的な芸術の根本表現を揺り動かさうとするものもあつた。能の技術は、昔から名人・上手といはれた多くの役者たちの発明の
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