して見た。シェイクスピアの作品に現れた花卉樹木の類を集めた庭園で、月桂樹《ベイ》、梨《ペア》、山櫨《メドラ》、木瓜《ぼけ》に似た花を付けている榲※[#「木+孛」、第3水準1−85−67]《クインス》、ホーソーン、えにしだ、等々。かなりたくさんな種類で、一々名前が標示してあるから、私のような植物の知識の貧寒な者にも興味は湧くが、それを見て私は東京砧村にある市河君設計のシェイクスピア庭園《ガーズン》を思い出した。そうして、本場のと思い較べて見て、砧村のも相当なものだということを初めて気づいた。

    五

 ウィリアム・シェイクスピアは二十一歳の年ストラトフォードを飛び出してロンドンに出て、芝居道に入り、役者になったり、脚本を書いたりして、恐らく誰も予想しなかったであろう成功を収め、再び郷里に帰って来たのは四十七歳の時だった。その時はすでに父も母も死んで、ヘンリ通《ストリート》の家には伯母の家族が住まっていたが、シェイクスピアは町の目抜の通、礼拝堂通《チャペルストリート》から礼拝堂小路《チャペルレイン》へかけての角屋敷で、以前にサー・ヒュー・クロプトンといってロンドン市長を勤めたことの
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