ので、劇場と塔と絵画館と図書館から出来ていたが、劇場と塔は十三年前の火事で焼けたのを再建して、七年前市河三喜君夫妻が来た頃やっと落成しそうになっていたと聞いたのが、出来上ってるのを見ると、ロンドンのどの劇場とも比較にならないほど思い切って近代的な構造である。焼けた劇場もストラトフォードの環境の中ではあまりに異色的《コンスピキアス》だといわれて焼けた当座今度建つのは劇場設計の「|最後の言葉《ザ・ラスト・ワード》」となるだろうと噂されていたが、或る意味に於いてはなるほど謂わゆる「最後の言葉」かも知れないが、古風な環境から飛び離れたものになってる点では、前の劇場は写真で見ただけだけれども、恐らく五十歩百歩だと思う。
シェイクスピア祭は四月三日に始まり九月十六日または二十三日まで続き、劇場はその間殆んど毎晩開かれ、初めの十二週間分の上演曲目六種が発表され、私たちはロンドンから座席を申し込んで置いたのでらくに入れたが、そうでないと入場ができなかったかも知れないと思われるほどの盛況だった。
配役は、オセローはジョン・ローリ、イヤゴーはアレク・クリューンズ、デズディモーナはジョイス・ブランド等の顔ぶれで、演出はロバート・アトキンズだった、殊にジョン・ローリの行き方は全然私の予期しなかったオセローで、脊丈もなく、肩幅もなく、声量も十分ではなく、肉体的にはどう見てもハンディキャップされているが、それでいて情緒のさまざまな展開を不思議に自由に見せていたのは、一つは技術のうまいのにも因るのだろうが、一つにはまた『オセロー』の作品その物が『マクベス』とか『王《キング》リア』とかに較べて悲痛の成分を多分に盛られているから、演じ易いのではなかろうかとも思われた。(此の演出の印象については別に書くつもりだから、此処にはくわしい批評は略する。)
此の演出は、私の翻訳しかけている『オセロー』の表現にとっていろいろと考えさせられたり、反省させられたりした点があって、見てよかったと思った。
しかし、あまり芝居に気を取られていて、下の食堂のテイブルの申し込みを忘れ、二階の部屋でスープとオムレツだけの簡素な晩餐でがまんしなければならなかったのは少しつらかった。
四
次の朝は早めに起きて、食事前に、子供たちと市河君に絵端書を書いた。市河君夫妻は此のホテルの M. V.(ヴェニスの商人)の
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