ナる低い川岸と、それを縁《ふち》どっている絹柳の並木とその向に聳え立ってる神聖《ホリ》トリニティの尖塔を一緒に見通した景色は何とも美しいものだった。町には、祭の季節だからだろう、人が大勢歩いていた。
まず宿を取って置く必要があったので、私たちはシェイクスピア・ホテルというのに乗りつけた。赤馬《レッドホース》というのも橋のたもとにあって、ウォシントン・アーヴィングが此の土地の印象記(それを私は中学時代に読んだ)を書いた時泊っていたホテルだというので有名だが、それをば此の土地第一の得意客なるアメリカの淑女紳士諸君のために譲ることにして、私たちはシェイクスピア・ホテルの方を選んだ。それは十五世紀に建てられた気持のよい木造三階の建物で、家具なども調和するように工夫されてあるので興味を喚び起されるが、宿泊者にとっての今一つの興味は、客室の一つ一つが作品の名を持ってることで、どんな部屋に案内されるかと思ったら、私たち二人の部屋は九号室で、All's Well that Ends Well(おわりよきものはすべてよし)だった。なるほど喜劇の外題だったら大してあたりさわりがなくてよかろうが、悲劇にはだいぶさしさわりのあるものがある、というと、喜劇だって新婚の夫婦がい L. L. L.(恋の骨折損)の部屋に通されたらどんなものだろう、とか、いや、やきもち屋の亭主と Othello《オセロー》 の寝室に寝かされたらどうだろう、とか、そんなことを話し合って笑ったが、そういえば今夜は『オセロー』の芝居を見に行くのだったと思いつき、急いで支度をしてロッビへ下りる。
廊下のつきあたりに Macbeth《マクベス》 と札を打った部屋があって、ドアがあいていたから、のぞいて見たら、読書室だった。さしさわりのある名前は客室には付けないのかも知れない。ロッビで水沢・工藤両君に部屋の名前を聞いたら Troilus《トロイラス》 and《アンド》 Cressid《クレシダ》 だといって、つまらなそうな顔をしていた。
芝居のある場所はシェイクスピア記念館《メモーリアル》といって、ホテルから歩いて五分とはかからなかった。一方はすぐ川になって、前の広場の楡《にれ》の並木には色とりどりの裸か電球が枝に付けてあるのも祭の季節だからだろうが、鄙びてストラトフォードらしかった。記念館は前世紀の七十年代に建てられたも
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