いので、昔は保養地として聞こえていたが、今日は賑やかな商業地として知られている。
 バスは町の目貫の通をゆっくり通り、二三箇所に停まって見物したけれども、さして興味を惹くものとてはなかった。ドゥオモは十七世紀以来の、大学は十二世紀以来の歴史を持つそうだが、前者は震災で大部分破損し、後者は極めて最近の改築で感心しなかった。新らしいから感心しないのではなく、様式に見るべきものがないから感心できなかったのである。
 ギリシア劇場とローマ風の円形競技場もあったというが、後者は近年漸く発掘され、前者はまだ熔岩層の下に埋没したままである。見たうちで注目に値すると思ったのは、新らしいものだけれども、ヴィラ・ベリーニの庭園だった。樹林が深々と繁って、緑の蔭が涼しく、花壇も美しく整理され、ベリーニを初め、カヴール、マッツィーニなどの胸像が数多く並んでいた。
 ヴィンチェンコ・ベリーニ(前世紀の作曲家)とマリオ・ラピサルディ(ガリバルディの先輩)がカターニアの誇りとする人物らしいが、それよりも私にはホメーロスに次いでの大詩人といわれた合唱舞踊歌の完成者なるステーシコロス(ティーシアス)が晩年を此処で送って
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