は古代の城門があり、城門から城門へはすぐに達するほど、家々がごちゃごちゃに寄り合って、本通《コルソ》といっても裏道のようであり、広場《ピアツァ》といっても狭くるしく、どの建物も小さく、低く、せせこましく、それが却って古代・中世の生活の姿を残しているのが、旅行者には此の上もなく興味があり、ローマよりも、ロンドンよりも、パリよりも物珍らしく見られた。況んや幾何学の見本のようなベルリンなどは、それに較べると甚だ散文的である。尤もニュー・ヨークとなると、別の見方でまた興味をそそるものはあるけれども。
 タオルミーナの古い町を見て私はポンペイの発掘都市を思い出した。ポンペイも道幅が狭くて不規則な町だが、平地だけにタオルミーナのおもしろさに欠けている。タオルミーナはポンペイのような廃墟でないから、家は破損したり繕われたりしていても、とにかく人が住まって、生きてる町だけに、おもしろさは格段である。昔の噴水の周りに人がたかっていたり、古風なカフェの軒下に大勢腰かけていたりしてるのを見ても、風俗がいかにも鄙びていて、一九三九年という感じはしなかった。
 それにつけても、日本を訪問する外人が、横浜に上陸してまず失望し、東京に入って更に失望する心理がよくわかるような気がした。もし世界中がどこも一色に統一されて変化も特色もなくなったら、地球の表面はいかに退屈な場所となることだろう。旅行者の興味は九九パーセント失われてしまうに違いない。

    四

 タオルミーナに着いた翌日、私たちは周遊バスでエトナに登り、帰途カターニアの町を見物した。
 地理学者の説によると、シチリアは地中海が出来た時にアフリカから切り放され、それからずっと後にイタリアの本土からも切り放され、今日地図で見る如く、長靴の尖で跳ね飛ばされた道化役者の帽子のような形で残っている。そういった歴史以前の地質生成の経過を語るものは、アペニン山系で、それは長靴半島を北から南へ貫き、メシナの海峡をくぐり、三角帽子の東と北の縁を縫って海の中へもぐり込んでいる。その東の縁の終止点となって飛び上ってる所がエトナの山で、高さはアルプス山彙に属するものを除けばイタリア第一であるのみならず、活火山としてはヨーロッパ第一位である。他所ではエトナと呼ばれるが、島では単にラ・モンタニュ(お山)と呼び、またサラセン侵入時代からモンジベロ(山の中の山)と
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