らかな、自由な、健全な空気が漂っていたことが思いやられる。
同じことはシラクーザの劇場でも感じられた筈であったが、其処では舞台建造物が失われていたので、私の貧弱な想像力はそれを実感することができなかった。しかしタオルミーナの劇場と同じく、其処の劇場も山の上に造られ、岩磐を利用した見物席は海の方へ打ち開けていたので、背景活用に類似の創意が働いていたことは推定される。
三
ギリシア劇場の位置は、タオルミーナ第一の展望台となってるほど勝れたもので、殊に座席の最上列に立つと、実地を見ない人には到底想像もつかないほどの大きな美しいパノラマが展開される。東は海で、西は山で、その山の、すぐ目の前にはタオルミーナの古い町がバナナの果実のように断崖の上にかたまり合って、古代の城壁で囲まれ、その一番高い所(三九六米)にアクロポリスと呼ばれた城砦《カステロ》があり、その後の高い所(六三四米)にモラの城砦《カステロ》があり、更にその後にモンテ・ヴェネレの奇峰(八六四米)が聳えている。これ等は鋭い線と複雑な色彩で造り上げられて怪奇な印象を与えるが、それから視野を南へ転じると、その部分の空間は殆んどすべてエトナに独占されている。エトナの遠望は孤立したところは富士に似て居り、その高さ(三三〇〇米)も富士に近いが、富士よりも大きく根を張って、裾野が直接海の中へ走り込んでるのと、残雪の間から噴煙を立てているのがちがう。登って見ると幾つも峰があったり、熔岩流が無数にあったりするけれども、直径二五キロを距てたタオルミーナから眺めると、山容はなだらかな線となって、海の紺碧との調和が譬えようもなく美しい。その海の水平線を辿って北の方へ視線を向けると、其処はメシナの海峡で、晴れた日の午後にはレジオの町まで見えるそうだ。レジオはイタリア半島の長靴の尖にあたる地点で、メシナの対岸である。
私たちは辻馬車に乗ってタオルミーナの町を見て廻った。人口五千足らずの小さい町であるが、町その物がさながら一つの博物館の趣がある。ギリシア時代の遺物としては劇場の外に城壁や城砦があり、下ってはローマ時代・サラセン時代・ノルマン時代と次々の建物が、多くは断片的ながら、繕われて遺って居り、十四世紀のドゥオモ(カテドラレ)や、バディア・ヴェッキオなどが少しも目だって見えないほどに、すべての住宅が皆古物である。町の入口に
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