らに雪を戴いたエトナの高峰が次第次第に高くなり、その裾野がイオニア海に滑り込んで幾つもの長汀曲浦を造っているのが瞬間ごとにより広く見晴るかせるようになって行くのが愉快だった。私は雲仙を思い出したが、タオルミーナの景観は雲仙よりも遥かに大きく、打ち開けて、明るく、輝かしく、且つ甚だ美しいものに思われた。そういった印象を与えられた主な理由は、雲仙では雲仙その物に登るのであるが、タオルミーナではエトナを前に眺めながらタウロスの山に登るのだからに相違ない。それに南欧の空の明るさと海の青さも此の評価を助けていることは言うまでもない。
 まず実景に目を見張った後で、ホテルに着いて案内記を読み直して見たらば、タオルミーナの景観はシチリア第一であるのみでなく、全ヨーロッパに於いても美しさにかけては並ぶものが少いと書いてあった。そういわれても決して誇張だとは思えなかった。

    二

 しかし、タオルミーナの興味は、そのすばらしい自然の構成だけではなく、古い豊富な歴史と詩の聯想にも十分に旅行者を満足させるものがある。今の町の建設は紀元前四世紀の初葉で、それまではイオニア人の都市ナクソス(タオルミーナの南四キロ、今のスキソ付近)が栄えていたのを、ディオニュシウス一世はギリシア勢力絶滅のためにそれを破壊すると同時に、シケリア人をしてタウロスの山腹に新都市を建設させた。それが今のタオルミーナで、その頃はタウロメニオンと呼ばれていた。ディオニュシウスは卑賤から身を起し、下層階級者に支持されて強力な軍隊を組織し、ギリシア人をシチリア(シケリア)から駆逐して、自ら僣主となり、シラクーザ(シュラクサイ)を中心として大いに武威を振るい、王としては猜疑心が強く、無理な政治はしたけれども、一面に於いては文化の保護者であり、彼自身相当にすぐれた詩才の所有者で、悲劇作者でもあった。
 シラクーザにもネアポリスの丘の上に大きな円形劇場が遺っているが、タオルミーナにも町の北東の高台(海抜二一三米)に見事な円形劇場が遺っている。シラクーザは紀元前八世紀以来の歴史を持つ古代の大都市でギリシア時代には百万以上の人口を持っていて、ヒエロ一世の宮廷には詩人ピンダロス、シモニデース、エピカルモス、バッキュリデース、アイスキュロスなどが賓客として迎えられていたから、その劇場ではアイスキュロスの悲劇も上演されたであろうし、
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